第13章 篆刻・・・その2

(2)篆刻の沿革

<日本の篆刻>

日本でも古くからおこなわれていたようでありますが、いずれも隋唐、宋、元の印の在り方を真似た程度でありますので、良印は見られませんでした。

殊に室町時代以降、宋元の画風に倣った作品には篆書の偽繆が多いようでります。

また宋、元の印章の荒頽の弊を承けたから極めて拙劣なものでありました。

然るに明の滅亡と同時に、我が国に渡来した隠元禅師の徒独立性易は、明代の篆刻の巨匠文三橋に学び書は王寵に学んだ人であり、この人が真の印章学を我が国に伝えたのであります。

このことは、徳川時代の文化人たちに大いに影響を与え、その書風が漢学の流行に伴って行われ文三橋派の篆刻は、まだ当時極めて幼稚であった我が国の印章に、多大な刺激を与えた。

次いで甲州より高芙蓉(こうふよう)が出て、ようやく舶載された古銅印譜に着目し復古を唱え、我が国の印章学の基礎を固めて世に印聖の名を博しました。

この後、印章学は一変し、ますます開けていった。

高芙蓉の門下には曾之唯、葛子琴、初世浜村蔵六らがいましたが、その数は少なく、一般の実用印章への影響がなかったのは残念と言わなければならない。

文化文政の頃とて、文人にして鉄筆を弄する者は極めて少なく、自ら刻り、自ら用いたものに頼山陽がいました。田能村竹田(たのむらちくでん)その他の知人にも贈印しています。

明治になると長﨑の小曾根乾堂も高芙蓉の流れをくみ、来泊する清国人とも交友、その刻を求めるものが多くいたと言います。

それからのちの事を論じることは書道界の篆刻家に席を譲ります。

現代はこれらの流れを承けて、明清に学び、漢印を究めんとして、篆刻人口も増えていきました。

(3)落款の印章

<東洋特有の美学>

落款は書画を落成した証印として、筆者自らがその姓名、雅号、花押を記入したり、その印章を押捺することを言います。

落款の印章は三顆組を以て一般的に用いられます。

□引首印・・・一顆・・朱白いずれでも可

□款 印・・・一顆・・白文

□識 印・・・一顆・・朱文

<引首印(いんしゅいん)>

関防印(かんぼういん)とも称し、作品の右肩に押捺するもので、刻字は斉堂館閣の名、自己の好む句、または心境を表す語を用い、形も変化を求めて、瓢(ひさご)、鼎(かなえ)、円、楕円を用いても良いが、石材が長方形のものが多い。

作品の全幅であることとその端初を示す意味にもなります。

<款印>

左下に押すもので、款とは文字を凹く刻る文字であります。文字は押捺して、白く出るので白文と言い、その輪郭を闌といいます。

<識印>

款印の下に押捺するもので、識は款の反対で、文字が朱で表れる刻法で、朱文と言いその輪郭を辺といいます。

款識には姓名、雅号を刻る。

落款は作品に対して署名捺印するのでありますから、その捺印は慎重でなければならないと共に、その押捺する位置もよく考えないと、却って全局を損じることになります。

<印材と刻法>

落款は雅印であります。石材、陶材、竹材、柘材も良いが、石材が力感のある作品ができるので、最適といえます。

刻法の解説は、最近の篆刻書に話を譲ります。

<雅印と正印>

落款印その他の風流に用いる印章は、全て「雅印」「遊印」と考えてよいと考えます。

正印とは、実印、銀行印、認印、法人印のような実用印章を指します。

落款印も筆者の信を示すものではありますが、実印、銀行印の信憑性とはその意義が異なります

雅印の刻法で正印としては不適な場合があります。

雅印と正印は自ら独自の領域が存在するものであります。

いくら起源を音字くしたものでも、分野を分けて論じることで、正印と雅印の役割が際立つと思います。

<最後に>

一部の特殊な人々のみに依存することなく、真の印章の美しさを知らせる手段として、さらに印章業界が落款印の普及を図るべきであります。

 

 

posted: 2014年 4月 27日