第17章 印章の観察法・・・その7

(12)印章の常識

●名人の作品・・・自分の印章を偽造されないようにと、輪郭に故意に傷や打撃を加える人がいます。こういう人は、病を背負い、晩年殊に不幸を感ぜられます。

良き印章には、必ず気品と生気があります。それは偽造品では生まれない物です。

偽造を恐れるなら、名人大家の作品を求め、所持することです。

 

●首掛けの印は一つ・・・実印から銀行印、挙句の果てには宅配便の受け取り印まで、印章一つ(一顆)でまかなう人がいます。

ふきん、タオル、雑巾とは、同じ布製品ですが、用途の違うものです。似て非なるものとは、このことです。

これらを万事一つで兼用される人は、収入の割にゆとりがない生活で、蓄財できない一生を過ごすこととなります。

 

●印章開眼・・・印章は一握の小片でありますが、先祖からの姓と自己の名を刻する、信を示す宝器である。

使用を始めるにあたっては、先祖の霊に報告し、その名を辱めることのないよう、隆昌を祈念することを忘れてはいけない。

 

●印章の清掃・・・如何なる名作であっても、その印章が汚れたり朱肉が詰まっていたのでは駄作に等しい印影しか得られません。

名刀も手入れを怠れば、良く磨いた鈍刀に劣ることとなります。

月一回報恩感謝の願いを込めて清く拭い、大切に愛用すれば、印章の徳は無限となります。

●実印は無用の長物・・・実印は、借金か保証人になる時に必要だから、自分には不用だという人がいます。

それは下賤な見方であり、現在の社会機構では、実印のない人間には信憑を認めず、法律的な発言権もありません。

社会人になれば、本人の名を刻した実印を用意するべきであります。

 

●朱肉・・・優秀な朱肉に丁寧な押捺をえて、はじめて美しい印影を得ることが出来ます。

最高級の朱肉は夏冬不変で長年使用できるので結局得であります。

粗悪品は印章を損じたり、直ぐに使用に耐えなくなります。

スポンジの朱液を補充する朱肉以外に高級練朱肉を常備することをお勧めいたします。

 

●財運・・・財政面の運勢であります。

資産やお金があるからと言って、それが幸せにつながるものではありませんが、なくては不幸を喚起します。

ある程度の金銭により衣食住も足り、礼節を生じ、家庭も調います。

印章で一番よく分かるのは、財運の有無です。

豊潤な15ミリ丸の生活力にあふれた美しい印章の持ち主は、一様に資産ある紳士であります。

汚れた印、欠けた印、醜い文字や誤字の印、凶兆の印では、福の神も逃げ出すことでしょう。

精神を物質化したものこそ実用の印章であり、自ずと財運も表現します。

 

●印章を貸すな・・・金は貸しても印章は貸すなと言われます。

実際借金の断りは言いやすいが、請判を頼まれると、近親の場合などは案外手軽に貸してしまうものです。これが失敗の基であります。

対手を怒らせず、不快を与えず、ニコニコと円満裡に請判を断れるようになれば、その人は福徳備わった人と言い得ます。

●風采より印章・・・堂々たる風采の紳士であっても、印章が粗末で、捺印時にポケットより取り出し、印鑑ケース付属の口径の小さな朱肉に叩きつけるようにして、捺印時も上下を確かめることなく、只力任せに押捺する・・・そのような紳士ぶる人は、信用してはいけません。必ず迷惑を生じます。

一見して不真面目な感じのする印章を持つ人は、生活態度も不真面目です。

不正、詐欺、違約、背信等の行為が多くみられます。

●印章の大小・・・実印は15ミリ丸、銀行印は15ミリ丸~13,5ミリ丸、認印は12ミリ丸~10,5ミリ丸。

これより大きい印章を好む人は誇張を象し、小さいものを好む人は器局小さく病弱であります。

●那依法・・・よりたすける意味です。

漢字は千姿万態で同一の区画に割り当てると却って疎密不同になります。

輪郭の中は一家と同じく俯仰正則、混然融和して情意が生じるものですが、那依法を知らない刻者が彫刻したものは、活字のように整然と配字して、生気のない萎縮した凡作に終わります。

文字の大小不同を感じる印章は、支離滅裂の凶兆とされています。

●神社仏閣の印・・・八十八か所、三十三か所と朱印を押してまわる人は多くいます。FBにおいてもその御朱印をみることがありますが、「御判料」を奉納させる割に品位のない、汚い印影が多いことに驚かされます。中には、明らかにゴム印というものも見受けられ、ありがたみを感じることからは程得あるのが現状でしょう。

また、書画の落款や書籍の奥付の印も見苦しい物が多い。

日本の印章の貧弱さを見ると同時に、印章文化とこと叫ぶには業界内から猛省し、技術と見識を挙げることから始めないと、後世に汚点を残すこととなります。

東洋美術の粋たる印章が児戯に等しい低調さを何とかしなければ、恥さらしであります。

崇高恭敬、心を洗い清める聖なる印章、信仰の対象になり得る高度な印章でなければなりません。

 

posted: 2014年 5月 8日