第17章 印章の観察法・・・その8

(13)三文判

<印章の信威を落とす>

三文判とは、既製の安価な粗末なもので、昔は三文で販売されていました。

芋印、盲判、打ち込み等の別名もあります。

今は、100円ショップでも販売されています。

また一応別彫りなのですが、その素材が樹脂であるものを三文判的駄印と言います。

三文判を買い、それを日常の印章としているようなことでは、三文判的人種であります。

架空名義の第二預金等に三文判を用いて、却って疑惑を招き失敗した例もあります。

大切な預貯金に三文判を使用することは非常識であります。

三文判及び三文判的駄印の横行は印章を信用の対象とする社会の秩序を混乱させることになります。

たとえ一時の間に合わせとしても、この存在は不合理であり、自己の信用と家の名を冒涜することとなります。

三文判こそ印章の信威を卑しめる存在であり、信念軽視の表示となります。

 

<卒業記念の印>

卒業生に社会に出る餞として、印章を贈ることは大変有意義なことです。

しかし、これに形だけの三文判やそれに近い三文判的駄印を贈るのであれば、意図はよくとも却って滑稽であります。

晴れの門出の若者にピッタリとした誂えのスーツを着せずに、スニーカー履きにウェットスーツで旅立たせるようなものであります。

もし本人が無自覚のまま、三文判である卒業印を永きにわたり使用する時は、嘲笑と軽蔑を買うことになり、その損害は計り知れないほど大きいものです。

印章は人格を表しています。

三文判を以て記念とすることは極めて印章を誤る愚挙と言わざるを得ない。

出生命名と共に最高の実印を刻し、その子供のために備えるのは素封家に良く行われます。

成人の日とか、結婚の日にその印章にて保有する財産と共に印を授けるのであります。

贈られた子供たちは感激し、その印章と共に素晴らしい人生を過ごすこととなります。

印章を贈る時は、このようでありたいものです。

posted: 2014年 5月 8日