3度目の緊急事態宣言1日目に、昨年を振り返りました

3度目の緊急事態宣言の一日目、昨年の事を思い返しています。

リモートワークの邪魔者にされ、行政手続きの簡素化の障壁の代表格に祭り上げられた印章。

そして、大臣による行政手続きにおける「押印廃止」に繋がっていきました。

継承現場である技術講習会は、対面講習ができなくなり、臨時休講が常態化していきました。

今年に入り、リモートによる講習や通信添削に、継承者である講習生の技術に向かう意欲の低下がみられ、現場を疲弊させ来年の技能検定受検者100名確保に一抹の不安を残しています。(100名集まらなければ、印章業界から技能検定は無くなります)

人が使用する物をつくるという事には、作り手の思いが入り込むというのが、古来日本的な考え方であります。

今、新疆ウイグル自治区において作成されているものに、強制労働というマイナスな思いが入り込んでいます。

政治的な問題、不買運動、それに抗う姿勢・・・それがないと安価に早く供給できないという問題を抱えて、そこから目をそらす企業の姿勢

強制労働によりつくられたトマトや綿花には、やはりマイナスの思いが入り込んでいると思います。

 

日本の伝統工芸も人の思いを大切に受け継がれてきた技術であります。

印章は、伝統工芸だと思います。

神代の「おしで」という印章の基となった考え方を土台にして、古代メソポタミアのシリンダー型印章の発明から、シルクロードの終着点である正倉院にたどり着いた印章が、「おしでの大神」に受け入れられて、公から民へ、広く受け継がれてきた道具であります。

その技術も先人よりの道筋を繋げてきた名も無き職人の努力によるものです。

だから職人道徳に守られ、唯一無二の世界を表現して来たのだと思います。

 

印章は、早く安くという間に合わせでできるものではありません。

作成に時間が掛かり、一つ一つ丁寧な作業工程があり、その過程で思いは表現されて行きます。

パソコンで作製されたデジタル的な印章には思いが入りません。

先人からの技術の道に乗っかっていない、本道から外れた職人まがいのものであります。

デジタルを否定しているのではありません。

印章の役割をデジタル化することや、共存すると言う姿勢に疑問を感じているのです。

デジタルで作られたものは、デジタルの中に完結します。

デジタルの中の印影は、先人がつくったプロセスを無視した結論としての印影デザインでしかありません。

そこに思いは乗らない、入り込まないのです。

デジタルの目的が、利便性や合理性であるとすると、印章は事象と事象の間に入る時間を有した人のプラスの思いを運ぶ道具です。

利便性や合理性とは対局軸に位置するものが印章です。

そこに乗っかり共存しようとする姿勢には、職人道徳が欠如し、最初から論理的に破たんしていたと私は思います。

この時間を有した印章という道具をもう一度みんなで考えて頂くことが、“日本人からなくなりつつあるモノ”を復活させて頂く一助になると強く思います。

 

そして、今、わずかに残された実印という概念は、職人の思いがこもった実印をお求めになられ、使用者の思いが入り込めるような良き仕事のものを選択して頂けるように消費者の皆様には、切にお願い申し上げます。

その行為が、ハンコを作製する職人とその技術を残すことに繋がります。

デジタルは、利便性と合理性の世界で、人の思いを伝えるとか、時間軸を有する道具という役割はありません。

posted: 2021年 4月 25日