木偶の坊には成りたくない

五月雨ややうやく湯銭酒のぜに

【作者】蝶花楼馬楽

 

4月の稼ぎは薄く終わり、このままではどうなるのだろう「湯銭酒のぜに」もでなくなるかなとため息ばかりでございました。

デジタル庁法案のついでのように、再び行政手続きによる「押印廃止」という言葉を重ねて宣伝して頂き、新社会人の「就職祝いとしてハンコは贈らない・・・。」結婚もコロナで減っていますが、「結婚祝いにハンコはならない」という雰囲気が漂い蠢いています。

まるで、妖怪のようです。

 

先日、還暦を迎え実印を新調したいとご連絡を賜り、ご来店下さいました。

嘗て、同じ技能士ということで法人印を作製頂いた表具師さんです。

表具師さんと言うと、掛け軸や絵画の表装という文化的な仕事や襖の貼り替えというイメージがありますが、そんな仕事ばかりではなく、現場ではクロスや床の貼り替えを短期、安価な仕事ばかりが増えて来ているとのことです。

いくら働いても表具技能士としての自らの技術を活かせない、技術や伝統にしがみつくところは廃業に追い込まれるとの厳しい現状をお話しくださいました。

大阪の表具職業訓練校も休講状態(実質の廃校)とのことを以前お聞きしました。

技術が現場で活かせないので、継承現場が有名無実化するし、現場の仕事と遊離していくのかと思います。

修業や修錬と呼ばれるものは、ただテキストを覚えたり、ノウハウを身に着けることではありません。

技術を身に着ける過程で、その業に必要な基本的な考え方を身に着ける事であり、職人としての道徳を一つ一つの工程を覚えることで感じ取っていく事だというお話を致しました。

印章の技能検定継続が危なくなってきているという事から、本当は1級技能士という資格を頂けば、それ以上の仕事や技術を探求する能力を頂けたということで、技能という枠にとらわれないで、高見を目指せるはずだと話も致しました。

継承現場が疲弊しているのは、技能検定すら維持できない業界意識や今のコロナ禍によるところも大いにありますが、職人としての立ち位置をもう一度各自が胸に刻み直さないといけない時期に来ているのではと、互いの奮闘を誓い合いました。

昨夜、テレビで『雨あがる』を久々に観ました。

今の心境と、原作者の山本周五郎の座右の銘「人間の真価は、その人が死んだとき、なにを為したかではなく、彼が生きていたとき、なにを為そうとしたかで決まる」というテーマを宮崎美子演じる妻である才女の言葉として表現されたシーンに胸を打たれました。

「主人には賭け試合をせぬよう願っておりました、でもその願いは間違いで御座いました、主人も賭け試合が不面目で有る事は知っていたと思います、止むに止まれぬ場合が有るのです、あなたたちのような木偶の坊には分からないかもしれませんが、大切なのは主人が何をしたかではなく、何の為にしたかではありませんか。」

 

技能検定廃止への対策のみならず、今、木口師という職人として何を為すのがが、問われています。

木偶の坊だけにはなりたくはありません。

 

 

 

posted: 2021年 5月 17日