桜と日本的霊性

老桜 人のとよみに 咲き倦める
【作者】日野草城

少し説明のいる句かなと思いますので、大まかにですが説明をします。
老桜(おいざくら)が、人々の響(とよみ=どよみ)《騒がしい状態》に咲きあぐねているということのようです。

大阪も桜色に変わりつつあります。
桜を愛でるというのは、理屈ではなく受け継がれてきた感性の世界です。
その感性の下地は、日本人に共通の日本的霊性であります。

印章もデジタル化推進の邪魔者扱いをされていますが、「おしで」という日本的霊性の下地の元、その重要性が強調されてきました。
伝統文化に限らず、日本的霊性が存在するから日本文化を形成しているのだと考えます。
デジタル化が推進される今日、なんとか印章を残そう、デジタル化の邪魔にならないようにこっそりと・・・それでは、印章は無くなるし、日本文化は日本的霊性を持たない薄べったいものに変容され、世界に共通項は増えるかもしれませんが、日本独自のモノは残らない世の中が形成され、大切なものが次世代に継承されなくなります。
違いを認め合わない世界共通化に何の意味があるのでしょうか?

そして、桜を見ても「ああ、キレイ・・・」で終わり、けっして「桜を愛でる」というところには行きつかないであろうし、桜の俳句など読まれない世の中になっていくのだろうと思います。
印章がデジタル化の障害物と捉えられるなら、次は桜も世界共通化の障害物と捉えられ日本から伐採される日もあるのかも知れませんね。

森昌子さんの芸能界引退の理由の一つに60歳になり、ゆっくりとした人生を暮らしていきたいとブログで書かれていました。
周りを響(とよみ)と感じて、自ら老桜と自覚されてのことだと思います。
私も今年還暦を迎えます。
ボチボチ考えないと・・・断捨離の方向に・・・。

posted: 2019年 3月 29日