灯台下暗し

昨日は展示会疲れなのか、腰の痛みが強くなりました。

丸一日を休養にあてたのは、珍しい休日となりました。

若い頃、「煕菴の遊印」の販促に東京ビックサイトでのコミケに行っていた頃、三日間の実演をさせて頂いても、そう疲れませんでした。

家内は私よりも元気ですが、展示会に出ていたマッサージ機を購入していたのには驚きました。

この展示会参加は、家内が産創館に相談に行き、情報を集めて大阪市魅力発信事業に参加したお蔭で実現する運びとなりました。

まだまだこれからですが、共に頑張っていきたいと思います。

【灯台下暗し】

 

柳宗悦は、次のように言いました。

「民芸品は、鑑賞するために造られた美術品ではない。名も無き職人が手作りで作っている量産品である。民衆の誰もが買える価格帯で、民衆の日常に奉仕する、実用的な使いやすい物だ。それらには過剰な作為はなく、健やかな美しさがある。地方の風土に根差した天然素材からできたそれらの美しさは<用の美>といえる。」

印章の印面も<用の美>である。

日ごろ、そこに美しさがあるとは、誰も考えずに唯々必要に迫られて、捺印する。

芸術に昇華してしまった篆刻芸術は、鑑賞の美であり、それこそ印章がリモートワークの邪魔者といわれた折に、経団連会長が美術品として残せばよいといった範疇に入る物だと思います。

認印や銀行印、実印という実用印章には美がないとされるので、最近のCMでは「ハンコのポイ捨て」が実に多い。

灯台下暗しで、歴史と共に長年、全ての庶民のなかで使用されてきた印面デザインには理由と明確な美が存在していたという事に、印章業界は気づいてこなかった。

気づいてこなかったというより、そこを敢えて避け、機械生産からコンピューター彫刻機での素人の大量生産を行うために、美など無視するしか仕方がなかったのだろう。

ハンコのデザインをパソコンのみでしてしまうと、技術継承を感じられない、オモチャのようなハンコが出来てしまいます。

パソコンで印章が作成されるようになってから、もっと気を引き締めて技術継承に業界が向き合えば、作業区分を手彫り、手仕上げ、機械彫りと名付けっぱなしで終わらなければ、そこには先人からの魂がまだ息づいていたことだろうと推測されます。

それをもう言っても仕方がない状態に陥り、誰も見向きもしないし、聞く耳をも持たないかもしれないが、今ある名も無き印章彫刻職人の手に染みわたったデザイン性を放棄するにはもったいないところがあると思います。

灯台下暗し、その技術力を今の自分の存在を柳宗悦の思想から学ぶ必要性は大いにあると考えます。

彫るのが印章彫刻職人でもあり、彫ってきた道程を知るのも印章彫刻職人であります。

それは、決してパソコンフォントやパソコン機能をいくら駆使しても表現できない、名も無き印章彫刻職人であるあなたのみが出来る唯一無二の表現だからです。

posted: 2020年 9月 14日