広島69回目の原爆の日に想う

今日は、広島69回目の原爆の日です。

昨夜テレビで、多くの被爆者の方がお亡くなりになり、被爆体験の語り部が少なくってしまったことへの地元高校生の運動が取り上げられていました。

被爆者の方が無くなられることは、日本に原子爆弾が落とされたという事実の風化に繋がります。

これではいけないと気づいた高校生らが行動を起こしたことに素晴らしさを感じます。

このことと比較してはいけない事なのでしょうが、どうしても自分の範疇のことを考えてしまいます。

伝統文化や伝統技能という美辞麗句のもとに、そのものの技の本質的な意義や実用性に触れるのではなく、消えゆく文化にのみ焦点が合せられ、社会的な組織としてそれを芯から支えようとする仕組み作りに労を馳せない今のやり方に、逆に消えゆく運命を明確に感じます。

人がいなくなれば、それを継承することが出来なくなり、そのものは亡びていくということは、誰でも理解できることのはずなのに・・・

広島の高校生は、地元であり、その原爆に対しての怒りと悲しみをシェアできた力を活かすことが出来たのだと思います。

この出発点が大切だと考えます。

広島の高校生から学び、もう少し現状を注視して深く取り組む必要性を感じました。

 

posted: 2014年 8月 6日