ガンバレ!技術を愛する印章業界の人達

大阪は少し減少傾向みたいですが、全国的にはコロナの感染者数の増加の最中の昨日、少人数で行おうと、3人の技術委員会有志が組合事務所に集まりました。

「令和印章修錬会」の印譜の発送作業を完了しました。

 

コロナ禍の今年は、大印展が中止と理事会で決定された時には、仕方がないという諦めとともに、どないかせんとアカン!という二つの複雑な気持ちが入り混じっていました。

愚痴や文句を言い周りに迷惑をかけたこともありましたが、みんなで代替事業「令和印章修錬会」をしようと決めたときには、一安心しました。

しかし、集まる事の出来ない事業は困難の道でした。

審査員の先生方も、一つひとつの作品に寸評されるのは、とても大変であったと思います。

この場をお借りしまして、改めてお礼申し上げます。

また、それを編集するのも大変でした。

今回は、木口彫刻に特化した事業でしたが、例年通りの全ての部門において、同じようにせよとなると、おそらくみんな逃げ出してしまうことでしょう。

スタッフのみんなも、講習会が休講状態の中、それへの対策もあり、集まれずに大変であったと思います。

心より技術委員会の仲間たちにエールを送りたいと思います。

来年の大印展もこのままでいけば、開催も危ぶまれるかもしれません。

押印機会の減少が春から予想される中、印章店自体の存続も大変になると思います。

出品者のみなさんも、それどころではなくなるのかも知れません。

来年の事を言うと、鬼滅の刃が笑うと言います?

しかし、コロナ禍での大印展代替事業を乗り切った仲間たちの力を信じて来年も頑張りたいと思います。

宜しくお願い申し上げます。

 

出品者の皆様には、年末の郵便事情もありますが、おそらく年内にはお手元に届くと思います。

また、今回の教訓を全国のはんこ屋組合の組合長に知って頂きたいという理事長の考えから、例年の大印展では印譜を送らないのですが、今回は発送させて頂きます。

これで、全国の組合に技術の在り方を考え頂き、来年10月に応募の始まる技能検定に向けての一助にして頂ければ幸いです。

また、2月にありますグランプリの選手の参考資料となる事を願います。

ガンバレ!技術を愛する印章業界の人達。

 

posted: 2020年 12月 28日

今年もお世話になりました。

今年も残すところ数日となりました。

今年は、気が付けばコロナの感染が拡大し、短い期間で三つもの波を世界的に迎えています。

それに伴い、今まで隠されていたものが表面化して来ています。

働き方もそうですし、そもそも働くとは・・・とか、地球環境の問題などもそうです。

昨夜の19回目の「ナウシカ」もコロナ禍で視聴すると、新鮮な問題提起があるようにも感じられました。

印章は、コロナ禍以前から、製作現場と継承現場の在り方から、冬の時代と定義していましたが、コロナの感染拡大に相俟って、脱ハンコ騒動が顕在化して、来年には氷河期に突入することと思います。

印章自体は、数十年後か百年後かは存じませんが、姿を変えて蘇りを果たすと思います。

人と人との約束を司る日本古来の「おしで」という思想は、そうやすやすと変容するものでありませんし、印章という具体物においても、作製方法や在り方が時代に合わせて変化を見せてきました。

今ある実用印章の作製技術は、大陸文化と西洋技術の融合でなされたものです。予測される押印機会の減少により、それは消滅していく事だろうと、製作現場と継承現場を見ていて、或いは業界人の意識の在り方から、そのように感じるところであります。

しかし印章彫刻技術を分化して、その利用方法を模索することは出来ます。

新たな分野への橋渡しになるかも知れませんし、伝統技術を内在する仕事や工芸、技芸、芸術、美術との関係を持つことにより生き抜く糧を見出したいと思っています。

今年の最後の仕事として、大きなお寺の法要儀式の印章を作製させて頂く機会に恵まれました。

まだ、もう少しこのような仕事は、私が仕事ができる間にはあるでしょうし、きちんとした印章や印章に美を求められるお客様と共に、実印や銀行印、法人印の作製に精を出したと思っています。

来年も頑張る所存です。

宜しくお付き合い賜りますように、お願い申し上げます。

 

「姿のうつくしい印章」をお届けする三田村印章店・・・

今年は、28日(月)までの営業とさせて頂きます。

来年は、1月5日(火)を仕事初めと致します。

posted: 2020年 12月 26日

メディアのつくる~文化?

ともかくもあなた任せのとしの暮

【作者】小林一茶

 

ラジオから、今年はコロナで人に会えない日が多かったので、年賀状を出す人が多いとのお話、鬼滅の刃も流行り、そのキャラクター付き年賀状の売れ行きも好評らしい。

それに付随して、「年賀状文化」という言葉が耳に入った。

なんでも文化を付けたがるのかな。

脱ハンコ騒動の折にも、「ハンコ文化」という言葉で表現された。

ハンコは文化なんだと、蔵書印や落款印をとりあげて文化としていた。

100均で購入できるハンコは、文化ではないと否定されていた。

行政手続きの押印の為のハンコも・・・

何故だろう?

「職人文化」・・・そういう言葉はないのだろうけれど、かれこれ10年以上お話してきている。

毎日新聞の朝刊、大阪地域ページに今年の現代の名工、堺の鍛冶屋さん、平川康弘さんが紹介されていた。

現代の名工は11月のプレス発表でありましたが、ここ数年、三大新聞は紹介しなくなりました。

黄綬褒章もそれに倣えとなっています。

私の時は、読売新聞が取り上げてくれました。

「年賀状文化」や「ハンコ文化」と同様に、今の文化への捉え方が反映されているように感じます。

メディアから~文化と聞こえてくると、少し疑った方が良いのかな・・・。

posted: 2020年 12月 16日

方言と印章

連続テレビ小説『おちょやん』が始まりましたね。

私の中では大ヒット番組です。

それは、大阪弁という言葉を大切にしてくれているからです。

少し前にも書いた、「だんない」や今日の「ほげたが達者」(口が達者、よくしゃべる、反論がお上手)には驚きました。

どれも嘗ての(私が幼少期の)大阪で日常的に使われていた言葉で、今はほとんど使われなくなった大阪弁です。

連ドラでは、嘗ての大阪を舞台にしたものが多くありました。

いとさん、こいさんのような船場言葉は出てきたような気もしますが、日常会話の言葉を毎回大切に扱ってくれることに感謝いたします。

 

昭和15年、柳宗悦柳ら日本民芸協会一行が沖縄を訪問し、当時の沖縄県で、方言を否定し標準語励行が鳴り物入りで推進されている事態を批判した沖縄方言論争がありました。

柳宗悦は、当時の特高警察に捕まり尋問を受けましたが、意を曲げずに方言のもつ文化的価値を力説し、標準語の一方的な励行は将来に禍根を残すものであると主張。

この論争は、やがて東京の論壇も巻き込んで、標準語、国語と方言の関係を問う一大論争に発展していきました。

 

言葉のみでなく、あらゆる事柄を一つの共通するものにすると、一見合理的で利便性があるようにも見えますが、その土地の個性や思考、ひいては文化をも否定していくようになります。

それが今、グローバル社会の名のもとに国際的なる共通性を求めて、各国の文化を否定し始めています。

否定とは、言葉にすると完結しているように感じますが、消し去られるということです。

文化文明の発展により自然に淘汰されるのではなく、思想や政治により統率されるということは、後々に歪みを生じさせることだと思います。

今回の「脱ハンコ」と旗頭を上げた国策は政治的圧力による文化変容への触手のように思えてなりません。

印章業界には「ほげたが達者」な人もおられるのになぁ~と不思議でなりません。

気が付けば、社会が変わっていた。

それはコロナ禍後の日本の社会や文化に何をもたらすこととなるのでしょうか。

明日も『おちょやん』楽しみです。

posted: 2020年 12月 7日

だ・ん・な・い

朝ドラが大阪に帰り、久しぶりに古い大阪弁を聞きました。

「だんない」・・・構わない。差し支えない。という大阪の方言

亡くなった母親がよく口にしていました。

今は、大阪で暮らしていても耳にしない言葉です。

使わないと耳にしなくなるのですね。

使わないと要らなくなる。

姿が無くなるんですね。

 

山梨の問屋の会長さんからの情報メールで、『正論』令和3年1月号に作家の竹田恒泰氏の「君は日本を誇れるか」という表題で、『河野大臣に告ぐ ハンコを悪者にした罪は大きい』という内容の文章が掲載されていますよとお知らせ頂きました。

「やっぱり合理主義っていうのはダメですよ。

本当の敵は合理主義者だと思っているんですね。

戦う相手が見えないので、合理主義を取り入れると文化はほぼ全部

なくなるんですね。」

あまり好きな雑誌ではないのですが、会長の上記文章に絆されました。

読んでみたいと思います。

 

明日と明後日、お店の入っている建物の下水管更新工事にともない、臨時休業とさせて頂きます。

ご迷惑をおかけしますが、宜しくお願い申し上げます。

posted: 2020年 12月 3日

違和感ありのポスター

印章店を営んでいて、とても恥ずかしいのですが、敢えてお話いたします。

実は、仕事上、特許庁への申請手続きに認印を押印することを失念してしまい、書類が返却されてきました。

押印がないというのは、行政側からすると、本人の意思確認ができないのでという理由が添えられていました。

来春の法改正により、認印がいらなくなり、デジタルにより処理されるということは、本人の意思確認を行政は不要と変更することなのでしょうか。

 

今日の朝刊の書評欄で紹介されていたことですが、ある人がCDをすべて処分して、デジタルに変換されたそうです。

ところが、聞きたい曲がすぐにチョイス出来なくなりました。

CDがずらりと並ぶ書棚にあった時には、すぐさま手に取り、プレイヤーで聞くことができたのに・・・

記憶という情報量がデジタル化することにより、削減されてしまった結果だと思います。

あの曲は、2段目の右から5番目で少し色あせたCDの少女が海岸を散歩する写真があるやつと・・・

 

印章の捺印もそうなのです。

捺印された結果という印影が独り歩きするのですが、捺印までの過程が記憶として残ります。

重要な書類だが、印鑑証明の添付が必要なく、お気に入りのトカゲ皮のケースに入っているあめ色の水牛材、再度書類に目を通して確認して、朱肉は少し赤茶の物を選び蓋を開ける、朱肉のよき香りとともに、丹田に力を込めてゆるやかに

紙面に捺し、指先で「の」の字を書く如く廻す気持ちで力を入れ、「し」の字に引くように離す、自ずと潤いのある美しい印影が目に飛び込んでくる。

その時の気持ちや匂い、押印した場所という環境など・・・多くの情報量を有して記憶として残るのです。

それがデジタルになる、記憶という情報が削除されるばかりか、たとえデジタル化された印影が証拠として残ったところで、それは自分の意志を確認したことに本当になるのだろうかと疑問を呈します。

 

昨夕、ハンコ組合の地元支部のRさんが(公社)全日本印章業協会の緊急のポスターを数枚持ってきてくれました。

以前の赤地のポスターには、共鳴するところもあり、店先に貼らせていただいておりますが、今回のものには、少し違和感があります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

字だけのポスターには、その効果がないことは検証済みの事かも知れませんが、そういう問題ではなくとても違和感があります。

当店のお客様には、婚姻届けに自らの意志として押印をされたい方が多くいます。

今まで、店頭でそれをお話してご購入下さったお客様を裏切りたくはありません。

折角持参いただいたRさんには悪いのですが、店先に貼る事は控えさせて頂きます。

この文章を書いていて思ったのですが、婚姻届けや車庫証明、確定申告への押印が来春よりなくなることは、「手続きの簡素化、電子化等により押印を不要とすること」なのでしょうか、この違和感は私だけでしょうか。

posted: 2020年 11月 28日

認印がもげてしまいました。

何やらがもげて悲しき熊手かな

【作者】高浜虚子

認印がもげてしまいました。

先日より、印章とデジタル化の共存はあり得なく、【住み分け】をすべきだというお話をしてきました。

その【住み分け】がデジタル99%で、残りを認印に分けてあげますよと言う結論が昨日の河野大臣の記者会見でした。

脱ハンコ・・・「はんこをやめろ!」と言われた大臣の方針は国策です。

昨日の記者会見後のニュースが出ると、印章販売のネットショップの宣伝がピタリと止まりました。

印章業界に、更に大きな逆風が吹き荒れることと想像します。

この間の業界団体の政治への働きかけの効果であろうと思いますが、実印や銀行印などの重要印章は残すという政府からの言葉を獲得しました。

何故、99%の押印が無くされ、認印は無くなりましたという結論に至ったのかは、業界が一番真摯に向かい合わねばならない製作現場の疲弊が大きな原因の一つであったと私は思います。

何処でもいつでも誰でも、すぐに購入できて、本人確認とならない印章と国からお墨付きをいただいた認印となり果てました。

印章の価値の低下、それは分速で販売され大量生産されたパソコンで作られたハンコが市場で乱売されたことによるものです。

それは明らかです。

今までにも言ってきましたが、印章はアナログです。

ですので、アナログな職人が作るのが印章です。

デジタルなパソコンでハンコをこしらえる行為に規範やモラルをもち規制しないことは、唯一無二を掲げる印章にとって自爆行為であります。

今、残された実印や銀行印などの重要印章は、きちんと作っていますよと規範とモラルを業界に徹底して、褌を締め直して消費者に向き合あうことが求められていると私は感じます。

また、先生先輩から継承された技術をきちんと発信していく事、業界の継承現場を維持するために、令和3年度後期技能検定をなんとしても100名の受検者を確保しながら、それで終わらせずに、重要印章作製に値する技術のクオリティを高めることに真摯に向き合って欲しいと思います。

それをしていかないと、今度は「実印をやめろ!」と叫び出す大臣が出てくるかも知れません。

もがれた熊手は、きちんと補修して大切にして行かないと、ドンドンと朽ち果ててしまう事、これ自然の理であります。

 

最後に、私の「デジタル化と印章の共存はあり得ません」というブログ記事にいただいたコメントをご紹介しておきます。

「世論は印章不要論に傾いていますが私はちょっと待て、明日は我が身だよ、と思います。ニュースでは毎日どこどこの会社が自主退職やボーナスゼロと報道をしてますが、これも人間というアナログを棄てPC等の利便性を追求したツケであると考えられます。押印の時間まで本当に惜しむ人間がどれだけいるのでしょうか?押印する責任を感じ美しい印影をしばし眺める、そんなゆとりを持たなければ良い仕事はできないと私は思います。」

 

 

posted: 2020年 11月 14日

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