第20章 印章開眼と処理・・・その1
(1)名を敬う儀式
<印の開眼>
如何に入念に調整された完全無欠の印章が出来上がったとしても、ただそれだけでその印章が直ちに盛運をもたらす宝器となるとは言えません。
印匠が精魂込めて彫刻された印章も、ただ単なる一個の物体であります。
これに魂を入れ活動力を与えるには、持ち主自信の精神を活入せねばなりません。
これを「印章の開眼」と言います。
<先霊に捧げよ>
印の開眼といっても何も難しい法式は必要としません。
まず身を清め、新調された印章を神仏壇に捧げ燈明をかかげ、自らは正装し襟を正してその前に端坐します。
これは印面に刻んだ姓が、先祖連綿の尊き文字であり、名は祖先の遺徳によりこの人生に生まれてきた自己を表現するが故に、まず印章を祖先に捧げ、改めて祖先より一身一家を托すべき印章を賜らんとするものであります。
そのようにして祖先の霊に対し、この印章を使用するに当たり自己の良心に恥じず、正義公道を守り、家業の盛運に努めることを誓うべきです。
その式典の盛大なること質素なることは問うところではなく、肝心なのは精神であります。
また、印章の種類や価格によりその差別を付けてはなりません。
皆ひとしく自己の信を托する宝器になんらの差違はないのです。
求めた価格の高下にかかわらず、ひとたび自己の神仏壇となれば、それに合掌する心に差別がないのと同様に、印章もまた値の如何にかかわらず、これに開眼合掌すべきであります。
護摩を焚きそこで懸命に祈られた印材に如何に名工が作成した印章でも、使用者の魂が入らず祖先への感謝の気持ちがない印章は、逆に一物体にすぎずに、使用者の印章への薄い気持ちが事故を引き起こす元となりかねません。
印章開眼の法則は古来一定の法則があったようです。
印判秘訣集には「印形開眼並びに供養得益」の項にその作法を述べていますが、これを現代印章に当てはめるのは疑義を生じ、一般には行われ難いてんがあります。
このように入魂開眼してこそ、印章の使用に当たっても充分慎重を期する精神力が養われるのです。
(2)印章の清掃
<月一回は必ず励行>
新印を調整した場合、実印なら前述の入魂開眼をおこなった上、直ちに印鑑届を為すべきです。
改印なれば手続きは市区町村役所にて即座に簡略に出来ますので、必ず怠ってはいけません。
愈々使用にあたりて、月一回はいずれの印章においても、この徳に報ずるための感謝を行うべきです。
何の形式ばった事ではなく、心に充分の謝徳の念を以て各印章を清めることであります。
即ち月に一回の印章の掃除であります。
この謝恩の心行は必ず印徳をもたらすものであることを心得るべきことです。
posted: 2014年 7月 15日