第1章 印章の意義と価値・・・その5

(5)悪印は悪剣

<天地に誓う押印>

行政機関での押印廃止により、押印の機会が減少してきている昨今であるが故に、さらに印章の重要性は、封建時代の刀剣に勝るとも劣らずの威力を有しています。

この貴重な印章を破損欠落したまま使用するのは、刀身の折れ曲がったものを腰に差しているのも同じく、字法・章法に誤りがある印章に至っては、妖刀村正のごとく身を過ち一家を滅ぼす凶器であると言わざるを得ません。

村正が妖刀や悪剣とされるか否かを詳細には知りませんが、妖刀村正にも似た妖印がいかに平然と世を横行していることかと言いたい次第です。

もしそれが、妖刀村正までには到らないとしても、劣悪愚鈍あるいは赤鰯竹光のごとき印章にいたっては、世間で出回る印章の多くがそれであると言って憚らない状況です。

正しき印章が多くあれば、正道の印章店は栄え、激安店やネットの激安ショップが乱立する昨今ではないということです。

往古にあっては、印章を証紙に押捺する者は斎戒沐浴をなし、祭壇を拝し、自己の全身全霊をもって証紙に書かれた条項を履行することを天地に誓って押印したものであります。

故に、これを神文誓紙と言います。

「印は首と引き換え」という言葉もここから始まったことであり、如何に古人が印章を重んじていたかを知ることができます。

押印廃止により押印回数の減少が印章軽視を生み出してきたことに加え、今自己の行為に確たる信念を欠いている者が増えてきているのではないかと危惧することもあります。

煩雑多忙な今日の状況において、往古の如き法に則して押印することは到底無理なことでありますが、その精神を汲み取って敬虔なる信念をもってなされてこそ、印章の持つ印徳は一身一家に恵みをもたらし、繁栄、降昌の道は自ら開けていくことでしょう。

また、その行為を親が子供に伝えることにより、自己の信念をきちんともつ人への成長の一助となることでしょう。

posted: 2013年 6月 2日

第1章 印章の意義と価値・・・その4

(4)人生は戦場なり

<印は信なり>

印そのものの字義は手に節を持つという意味です。

六義における会意。

『爪(そう)と卩(せつ)を組み合わせた形。卩(人が跪いて座る形)の上から爪(指先)を加えている形。上から強く「おさえる」の意味があり、それは印璽(はんこ)を押すときの動作であるので、「はん」の意味となり、すべて押してしるしをつけることを印という。』(白川静「常用字解」より)

即ち、節をもって、信を示す象(すがた)であります。

信の字は、言(ことば)と人の意を合わせた文字で会意文字であります。

人の言は信であって、誠であります。

人の言葉ほど誠実で信をおけるものはありませんでした。

信の古い文字は人と口でありました。

孟子に諸(これ)を己に有する、これを信という。

左伝に命を守り時を共にする、これを信という。

礼記に「忠信は礼の本なり」とあります。人生信なくして立たず。

信用を背に立つのが印であります。

藤本胤法著「印章と人生」が書かれた年代においては、行政機関の押印が廃止になってはいませんでした。よって、次の文章に違和感を感じられるかもしれませんが、それは本来の印章の役割・・・印は信なり・・・と頭に置きお読みください。

『我が国において、印章は日常の宝器として社会生活上欠くことのできないものです。すべての行為の一つとして印章を必要としないものはなく、出産より死亡までこれを司るのは印章の力であります。

人が産声を上げ、命数つきて人生に訣別するまでの数十年間は心身ともに全力で戦わねばならない戦場であります。その人生戦場を駆逐する戦士が日常片時も離すことができない武器(アイテム)は、正にこの印章であります。

この実戦場において、このアイテムである印章の使用方法を誤ったなら、莫大な財宝も一瞬にして崩滅し、昨日は耀く人生の常勝将軍も、今日は破滅の道をたどる敗軍の将と化してしまいます。

この激烈な人生戦場において、重要アイテムである印章に、欠陥があった場合はどうでしょうか。破損劣悪なアイテムを持って戦場に出た戦士の運命同様、一身一家の破滅敗亡は火を見るよりも明らかなことです。

また実際の破産衰微した人生の落伍者に、欠陥のある印章の所有者がその大部分を示すことを見ても、印章の持つ神秘力に慄然たるものが存在しております。』

前半の頻度という点では、その使用回数が激減していることはたしかです。

しかしながら、大変重要な契約や人生を左右する出来事場面において、急に印章の捺印現場に駆り出されます。

これを藤本先生の言葉をお借りするなら、実戦経験もなく武器の使用経験もない訓練生が主戦場に放り出されたのと同じ状態に今日の印章戦線はなっていると言わざるをえません。

良きことか悪しきことかの論戦はさておいて、この現実に立ち向かっていかねばなりません。この折に、正しい印章を正しく使用する必要性を説くことは、ますます重要になってきています。

私は戦争反対で、人生を戦場に例えるよりも幸せのシェアの力で共鳴と共感を広げる道具としての印章であれば、人生のアイテムとして最高のアイテムであろうと思いますし、これからの捺印機会の少なくなった時代故に、重要時期に対応できる印章アイテムの価値が大きくなることは間違いないと確信しております。

posted: 2013年 6月 2日

第1章 印章の意義と価値・・・その3

(2)印章は人生を司る

<森羅万象に吉凶あり>

吉凶禍福はあざなえる縄のごとく、生々流転するのは世相の姿といいます。

しかし、この世に生存する限り災害を避け幸福を求め、生を保ち死を嫌うのは生きとし生ける者の本能です。

無知蒙昧の草創の時代より様々な文化を誇る今日まで、我々の祖先は本能を満たさんとして、ありとあらゆる努力をしてきました。

而して、その尊き生活体験の集積は、ついに森羅万象にことごとく吉凶禍福を招来する因果を含むことを発見しました。

印章もまた、避禍求福の熱望に従い数千年来先人が身をもって感得してきた尊き努力と経験の集積であり、印章学は数千年の長き歴史によって基礎づけられた確固不抜の学理であります。

<印章は生きている>

印章は象牙、水牛、柘その他の金銀玉石、樹木、角、牙(門歯)を材料としています。材そのものは、もとより一滴の血潮も通わぬ無生物です。

唯物論者は、この一小物体に過ぎない印章に万物の霊長たる人間の運命を司るようなスピリチュアルな力などあるはずがないと一笑に附されてしまうかもわかりません。

開運印章業者の中には、動物材の中には血が流れているので、その材は凶材であるとするものがおります。しかし、印材としての角牙や樹木・・・最近では、スピリチュアルパワー印鑑と称する貴石印(メノウ・水晶・虎目石など)・・・その加工材そのものにスピリチュアルパワーや開運力など潜在しているわけがありません。

しかしその一かけらの一小物体に、先祖代々よりの姓と愛情いっぱいに両親がつけてくれた名を彫刻し、自己の信念を表現する印章となるに及んで初めて、その人の運命と結びつき単なる一小物体として取り扱うには、あまりにも貴重な恐るべき力を具現するに至ります。

たとえ幾億の財産といえども、この一顆(印章の単位)の眇たる印章の力を借りなければ、これを保護することができません。

また、この印章を誤って捺印してしまうと、保家護身の宝器は一転して倒産、破産、亡身の凶器と化し、一瞬にして地位、名誉、財産のすべてを失ってしまいます。

財産を保護するのも印章、奪うもまた印章・・・印章の徳と不徳によって左右されるこの恐るべきパワーこそ、実にスピリチュアルパワーでなくてなんでありましょうか!

<印章は自己の信念なり>

たとえ一片の柘とはいえ、それに自分の姓名を刻した上は、これを使用する権利は、全世界にあなたただ一人のみであります。

文書をしたため署名捺印した時には、記載事項に誤りがなく忠実に履行すべきを誓ったものとみなされます。

即ち自分自身の信念を披歴するために捺印された印影は、これこそ自己の分身であります。

「印は首と引き換え」「金は貸しても印は貸すな」など、印章の持つ威力を警戒した諺(ことわざ)が多くあります。印の字義によっても、信念を示す明確な表現であって、一捺したら後へは退けぬ、冷厳なる自己の表示であります。

まだ印章の制度がなかった古代においても、手形を押して以降堅き誓約の印(しるし)となさしめているのを見ても、印章の如何に重んぜられるべきかを知らねばなりません。

posted: 2013年 6月 2日

第1章 印章の意義と価値・・・その2

(2)印章と信念

<首とかけがえ>

嘗て印章は、ある身分以下の者には所持が許されず、大切に扱われました。

捺印の方法においてさえ儀式があり、神文誓紙と称されました。

その後、印章濫用期があり、現在では使用頻度は極端に少なくなった反動か、対人的保障などに簡単に捺印したり、漫然と使用し失敗を招く人が多くなっています。

本来、印章の権威はその使用者の権威に比例して無限の威力を発揮するものであります。どんなに貧しい人でも認印の一つは所有しておられるでしょう。それが名工の作でも100円ショップの既製品でも、その役割を兼用していたのでは、身を滅ぼす結果となることでしょう。即ち、宅配便の受けから、銀行印、はては実印まで一本で兼用していることであります。わが身を守るのも印章、亡ぼすのも印章であります。

正しい信念の人が正しい良印を選ぶのか、良印が正しい信念の人に随身するのか、その主客は問わずとも良印を持つことがすでに人生に対しての緊張と真面目さを具備することになります。

「恒産ある者に恒心あり」と正しい印章の所持をこのように奨めるのも、人と物と精神力と生活力を抱合する重要性に他ならないのであります。人生信なくして立たず、印章は単にその信念を表現する道具にとどまらず、進んで他者への信用を啓発するものであります。

印章こそ深遠なる東洋思想の発現であり、天と地と人と一元一体となり「心」と「信」と「真」の公道を歩もうとする東洋民族特有の人生観から出発した精神生活の物質的表現であります。

それ故に、いくらグローバル社会を構築して国際化の波に乗るといっても、この思想上の範疇を決して超えることはできないのもそれ由縁ということです。また、そういう意味からも印章文化はそうたやすく合理化の波そのままに放置されることはないという確信を日本人に運命づける結論であります。

健全なる身体に健全なる精神が宿るごとく、正しき印章には正しい信念が必ず生じ、向上発展を必然にしていくことでしょう。

posted: 2013年 6月 2日

第1章 印章の意義と価値・・・その1

(1)印章軽視は失敗の基

<印綬を受く>

古くは首相に任命された場合、「印綬を受く」と言いました。
この言葉が示すように、顕官にはその証として美しい綬に通して、役名を篆刻された印璽を与えられた。官級により印璽の大きさや綬の色を違えて、その身分を表しました。

その頃の印章に比べると100円均一で販売されている既製品の印章では、権威も何もあったものではありません。しかし、印章そのものに厳として存在する一定の法則は、昔も今も変わることなく、その美醜、吉凶もまた不変のものであります。

印章は座右の宝器です。

社会生活において、人と印章は欠くことのできない密接な位置関係にあります。それ故に人の性格や生活状態もまた使用している印章から推察することが可能になります。

良印は良運を招き、悪印は凶運を呼び込みます。

印章を尊び丁寧に取り扱う人に好運の人が多く、100円ショップのハンコで乱雑な捺印をし、ただ通ればよいとする人に失敗者が多いのは、天地の理であります。

売買、貸借上の重要な契約於いて、その当事者が百万遍の言葉を費やしてその履行を誓うより、惟一顆(印章の単位)の押捺により、契約は即座に成立するのが現実であります。

混沌とした社会情勢の今日、各行政機関での押印は廃止され、『本人の署名あるいは記名捺印』と・・・誰も役所に印章を持参する者がいなくなり、捺印経験の不足が、重要契約の折に、きちんとした捺印行為ができない若者を養成し、印章文化破壊への道を突き進んでいます。

しかし、その反面ますます重要案件や契約の場面での印章の役割はさらに責任を伴った重要性を如実に示して来ています。

会社の机の引き出しや、出先での捺印のために買った三文判(既製品)が家庭にゴロゴロしている状況を反省することは、必ずや得るところがあることを断言できます。

印章で最もよくわかるのは財運であります。

凶印を使用する人は一時的に栄えても必ず没落し、吉印の場合は、一生衣食住に困ることなく、晩年の財運に恵まれる方が多いです。

金を貸す人と、借りる人の印が統計学的に丸と角にはっきりと表れたのが個人印章の二大原則のようでありましたが、角印でも、風格のある良印は丸型の下品な字法の印に勝ることは当然であります。

しかし、角印の努力に付随する強情は、往々孤立の象となり晩年の財運に恵まれません。

豊厚にして優雅な五分丸(約15ミリ丸)印章が好財運の象徴であります。

posted: 2013年 6月 2日

伝国の璽

皇室継承の信憑である皇室典範には、「天皇崩スルトキハ皇嗣即チ践詐シ祖宗ノ神器ヲ承ク」と定められています。八咫鑑、叢雲剣、八尺瓊曲玉という三種の神器であります。

印章の宗である中国では皇位の徴証は印璽を以てなされました。即ち帝王の璽を持つ者が正統の皇帝として君臨したのであります。

印章は書道と共に芸術の最高として、権威ある存在であり、篆刻は文化の中心でありました。

帝王の玉璽は秦の始皇帝の螭虎紐(ちこちゅう)の印璽に始まります。印材は藍田山の白玉で方四寸(約12センチ角)という実に立派なものに、宰相李斯の句が篆刻されています。

受命於天、既寿永昌

この玉璽を継承する者が皇帝として君臨し、秦以来歴代の相伝の宝でありました。この璽は、後漢順帝の時に亡失されて、明の弘治13年に鄠県で発見されたが、時の孝宗帝はこれを用いませんでした。

六朝以降は、並び立った各王朝が勝手に伝国の璽を作りましたが、印文には受命於天の文を必ず用いました。満州国皇帝の印文も亦然り、さあれ薄命の玉璽でありました。

伝国の璽は、秦の子嬰より漢の高祖に献じられた第一印より六朝以後は歴代皇帝が興亡につれて幾つとなく作られました。唐以後は璽を改めて宝と称しました。璽、宝共に天子の表識として最高の宝物でありました。

(藤本胤峰先生文を一部改編いたしました。)

posted: 2013年 6月 2日

正しい印章選びとは

WordPress へようこそ。これは最初の投稿です。編集もしくは削除してブログを始めてください !

posted: 2013年 2月 14日

< 9 10 11 12 13