第8章 文字八体・・・その2

<小篆>

繁は簡なるに如かず、大篆の頗る繁雑にして、その使用が不便でありました。

秦の始皇帝が六国を併含するにいたって、種々異なった文字を統一するために宰相の李斯等をして作らしめたもので、命を承けた李斯等は、大篆を基本として点や画を省略し、大小を定め、整斎をとって別に一定の字体を作りました。

これを小篆といいます。

 

<刻符>

小篆と同じく李斯の作った文字で、鳥頭雲脚と称する書体でありますが、現存する刻符の文字は小篆と何ら異なる点はありません。

 

<蟲書>

鳥虫書ともいい、一種の文様文字であり、文字の画首を鳥または虫の形に似せて書いたものであり、幡じるし(旗印)に用いられたといいます。

<摹印(もいん)>

印章に刻した文字で厳格な意味において、印章の文字はことごとくこの摹印篆を使用すべきであります。

詳しく分類すれば、繆篆、塡篆、印篆、漢印篆に分けられるが、名称は異なっても実質は同一であります。

この摹印篆は、大篆、小篆と異なり、正確なる増減法を有しています。

今日斯界を混沌堕落させた罪は、印の正法に摹印篆があることを知らず、雑体篆をかつ然として用いるところの無知無意識極まるはんこ屋であると言わなければならない。

未だに、篆書に変わる新篆書やましてや印相体や吉相体と呼ばれるまやかし文字までその部類に参画させようとしている輩がいることは無知を通り越して文化破壊とまで言わなければ気が付かないのでありましょうか!

 

<署書>

即ち榜書(ふたしょ)のことで看板字であります。額字などもこの部類に属しています。

 

<殳書(しゅしょ)>

この書法は兵器の銘文に用いられたものであります。

 

 

posted: 2013年 8月 16日

第8章 文字八体・・・その1

第8章 文字八体

(1)古代文字

<蝌蚪文(かとぶん)>

黄帝の史、蒼頡(そうきつ、そうかつ)によって漸く文字の形態が備わりましたが、未だ筆墨の類が発明されていなかったので、竹べらのようなものに漆の液をつけ、竹簡(竹の札)に書いたもので、最初竹べらをおろしたところは太く大きく、字の納まりは細くなって、その形が蛙の子の蝌蚪(おたまじゃくし)に似ているので、これを蝌蚪文とも称しますが、書と絵画の中間にあるもので、今日ではその形態を偲ぶにとどまっています。

この蝌蚪文は、文字生成と共に生まれたもので最古の字体とも言えます。

蒼頡の時代にはじまり、今から三千数百年前の周時代にまで及んでいます。

(2)秦漢八体

<筆墨の発明>

字体構成上に一大革命を起こしたのは筆墨の発明であります。

従来の書画混同とも見られる蝌蚪文から解放された書体は、ここに一大飛躍を成して自由な活天地に入ることができたのであり、遂に秦時代に至って書体八部門に分類してこれを漢に伝えたのです。

世に有名な秦漢八体とはこれであって、単に八体と言えばこの秦漢八体をさしているほどであります。

八つの部門とは大篆、小篆、刻符、虫書、摹印、署書、殳書、隷書の八種類であります。

 

<大篆>

大篆は周の宣王の秘書、籕(ちゅう)と称する人の創始で、その創始者の名をもって籕文ともいいます。

 

 

posted: 2013年 8月 16日

第7章 六書・・・その5

(6) 転注

<運用の文字>

文字の構成上、今までの四種(象形・指事・会意・形声)は最も主要な基本でありますが、なおこれをもってしても未だそのすべてを尽くすことが出来ないから、その運用の便を計って転注、仮借の二種を付加しています。

 

転注とは、幾字か近似した意味の字を流用して互いに説明し合うことによって諒得しようとするものであり、例えば「楽」という字は転注法によったものです。本来は音楽の文字を表現する文字でありましたが、音響は人を楽しませるものですから、楽を楽しむに転注して「ラク」と読ましめました。

 

もう一例、命令の「令」ということばは、やがて人を集めて命令をくだす人→長官という意味に転じます。また、ながいことを意味する「長」ということばも、一番上に立つ人→長官という意味に転じます。そこで県長と言っても県令と言っても同じ意味となって、「令とは長なり」と注釈できるようになる。

故に、こうとも説明できます。意味の転化によって、おたがいに注釈し合えるようになることばを転注といいます。

 

(7)仮借

<他字を仮借したもの>

あて字のこと。ギザギザの戈(ほこ)を描いた我という字を、一人称代名詞の「ガ」にあてる。また、農家で穀物を干すときに用いる四角い箕(み)の形を描いた其という字を「それ」と指す場合に使うさしことばの「キ」にあてます。

 

また、この仮借法は漢字を用いて外国の発音を模写する場合に必要なものです。

「亜米利加(アメリカ)」「倫敦(ロンドン)」「印度(インド)」・・・・。

posted: 2013年 8月 10日

第7章 六書・・・その4

(5)形声(諧声)

<声を主とする文字>

会意文字では未だ意味を諒得することが出来ないので、二字を合わせてこれを声に諧したのが形声文字(諧声文字)です。

諧声とは声に諧するという意味であって、声を主とする性質のもじであり、ある意味音符文字とも言えます。

 

中国では最も大なる川を「コウ」と称し、その次を「カ」と言います。

故に『さん水+発音を示す工「コウ」』でもって江、『さん水+発音を示す可「カ」』でもって河となしました。

けもの編(犭)にベウの発音文字を配して猫という文字を作ったのももう一例です。

 

このように発音(音符)を主としたものが形声文字であり、会意文字と異なる点は、会意文字は二字を合わして一義とし、形声文字は、文字の一半をもってその事物の形態を示し、一半をもって発音による表現法をとった点に相違があります。

この形声文字は漢字総数の八~九割を占め、六義中最も主要となります。

posted: 2013年 8月 10日

第7章 六書・・・その3

(4)会意

<二字以上の合成文字>

象形や指事だけだは表現しにくい事物を、既に完成している文字(既製の漢字)を組み合わせたものを会意文字といいます。

その要素はいずれも意味を表してる「意符」であって形声文字のように発音を表す「音符」を含んではいません。

即ち、考察してその意味が分かるようにしています。

 

会意文字のうち、もっとも簡単なのは、同じ親字をいくつか寄せ集めたものです。

木と木を並べれば「林」、木を多く集めて「森」です。

そのほかの事例として「从」があります。ここからは、別ページの図を参照しながらお読みください。

①「从」・・・Aの人のうしろにBの人がしたがっているさまを二つの人印を合わせて示したものであります。後「行にんべん」や止(=趾、あし)を付け加えて、うしろからついて行くことを強調し、②從(=従)と書くようになりました。テレビニュースなどで中国を見ていると「从」などの簡体文字を見ますが、ある意味余計な付加成分を取り除いた原形に戻ったともいえます。

 

③「比」は、同じく人印を二つ利用していますが、これは二人が肩を並べてペアを成したさまであります。比肩とか比較とかいう場合の比(二つ並べる)というのが、そのもとの意味をよく保存しています。

 

④「好」は、心暖まる優しい場面を表しています。いうまでもなく「女+子」の会意文字で、女性が赤ちゃんを大切に世話しているさまであります。

大事に暖めておくということは「このむ」ということであり、また「このましい物」でなければ大事にはしません。印章もそうですね。

日本で「このむ」という訓を付けたものは、このような、大切にかばう動作の一面を表しています。また、「私の大事な・・・ちゃん」とは、つまり「このましい」娘のことであります。ですから「このましい」「すく」という動詞・形容動詞てきな意味も発生してきます。

 

子どもの姿は、ふつう足を下にして立った姿を描いて「子」と書きますが、出産する赤ちゃんは、実は頭の方を下にして胎内から出てきます。万一、足から生まれるようでは、「さか子」であって、大変な難産になります。そこで正常分娩によって生まれたばかりの赤ちゃんや乳幼児を表す時は、「子」という字をさかさまにして書くことがあります。⑤の「育」は「子の逆(正常分娩した赤ちゃん)+肉づき」の会意文字であり、生まれた幼児に肉がつくこと、つまり「肥立ちもよくそだつ」ことを表した会意文字であります。

 

⑥「棄(すてる)」は、「子の逆(赤ちゃん)+ごみ取り+両手」を組み合わせた会意文字であります。天災や戦乱に見まわれた農村では、生まれたばかりの赤ん坊をやしなうことができない。でなくとも、半永久的な飢餓の中に置かれていたかつての貧農の親は、泣く泣くあかちゃんをコモに包んで、村はずれに捨てに行ったのであります。「棄」とい字はそのわびしい姿をまざまざと再現して見せる会意文字であるのです。

晋の王粲(サン)、「七哀誌」に、

出門無所見  門を出ずれば、見ゆるもの無く、

白骨蔽平原  白骨 平原を蔽(おお)う。

路有飢婦人  路に飢えたる婦人有り、

抱子棄草間  子を抱きて草間に棄つ。

 

posted: 2013年 8月 10日

第7章 六書・・・その2

(3)指事

<性質を指事する文字>

直接その物体を象る(かたどる)ことは不可能でも、一見してその性質を表現するように指事した文字。

少し言い換えると、記号的な要素を利用して、特定の事態を表そうとしたのを指事文字といいます。

 

例を挙げますと、古文で一の上に一点があるのが「上」の字で、反対に一の下に一点を付けたものが「下」であります。

また、「夕」という文字は、月を以て夜の表現となし、夕べは黄昏れてまだ間もない頃ですので、月より一画減じて「夕」となし、月という象形文字を基礎として製作した文字であります。

言い換えれば、このように点や画を増減してその性質を表したものを指事文字といいます。

 

<指事文字の例示>

別ページの図を参照しながらもう少し具体例をしめしておきます。

⑥「天」は、大の字の形に立った人の頭上に一印を付けて、頭上に広がる平らな空、もしくは脳天を表そうとした。

⑦「立」は、同じく大の字の形に立つ人の下に一印をそえて、人が地上に立つことを表したものである。

⑧「正」は、足が目標を示す□印、もしくはゴールを示す一印に、まっすぐ向かうことを表している。後さらに「彳」をそえて征と書き、目標めがけて直進することを表した。

⑨「出」は、同じく足が敷居の外へ出ることを表している。

 

木の字を親に選んで、それに抽象記号を加えた指事文字を例にとってみましょう。

⑩「本」は、木の根元の太い所を「ここですよ」と横線で指さした字である。

⑪「末」は、その反対に、細く小さい梢の部分を指さした字である。

⑫「朱」の字は、木の幹の所を一印で切断することを示している。幹を中途で切ると、赤い木質部が良く見える。その色を朱色という。つまり切り株色である。朱に「木へん」をそえた株(切りかぶ)という字は、朱のもとの意味をよく表している。転じて人を胴切りすることを殊といい、それはめったにないことなので特殊の意味となる。文句をつけて人を血祭りにあげることを誅(ちゅう)といい、「天誅をくわえる」などというのは殊からきた派生語である。

posted: 2013年 8月 10日

第7章 六書・・・その1

第7章 六書

(1)六義

<文字の法則>

六義(りくぎ)とは、文字の製作されるにあたって規定された六つの法則を指して言うのであり、これを六書(りくしょ)と言います。

昔は文字のことを「書」ともいったので、これを「六書の説」と称します。

その六書とは、象形、指事、会意、形声、転注、仮借の六種がそれであり、数万に達している漢文字はことごとくこの六種の内に属することになります。

 

もっとも漢文字の始祖と言われる蒼頡の頃には、このような規定もなく、暫時文字の数が増加するにしたがってこのような制約を許慎先生が考案し、『説文解字』を書きあげたのは紀元後100年でありました。

 

六書のうち、象形、指事、会意、形声の四種は文字の結構法(造字法)で、転注と仮借はその使用法であります。

 

(2)象形

<物の形を象取る文字>

たとえば、「日」「月」「山」「川」等のものがこれに属していて、日は丸の中に一点、月は三日月形の中に一点をしるして用いるように、絵画と同様の性質を持つ文字であります。

この象形文字は、文字を制作する上において基本の形となるものでありますが、数万に及ぶ漢字全体からすれば、その数は比較的少ないのであります。

 

<人間に関する象形文字>

象形とは、文字どおり「物の形を象取る(かたどる)」ということであります。エジプトの象形文字でも漢字でも、どちらも実物の形を簡単に描いたもの(絵画のデフォルメ的)でありますので、出来上がった結果としてはよく似ているものが多くみられます。

しかし、両者間での交流や影響があったわけではありません。

 

人体に関する文字について、甲骨文字(約3200年前)=金文(約2600年前)=篆書(約2300年前)=楷書(今の字体)という順序に、字形の変遷を別ページにて参照してください。

 

①は人間を横から見たさま

②は大の字形に両足を広げて立った人間の姿

③女はやさしく体をくねらせた女性の姿

④母は女性に乳房をつけた姿

⑤子は乳児の姿

posted: 2013年 8月 10日

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