第16章 印章と迷信・・・その6
(3)印章の寄生虫
<身中の虫>
あるスーパーにスピリチュアル系の女占い師が印相を見るのだと言って出店をし、無智な人を惑わしていた。
その迷信印の下請けをしていた印章店の職人が、その刻技が輪郭の円内一杯に文字を鏤め、文字を輪郭に接触させるだけの要領であることを知り、今度は自分が印相の先生に成りすまして迷信印を平然と販売してる・・・これこそ、自己の天職を忘れた破廉恥漢であります。
印章の使命と信用を守るのは、印刻者や印章彫刻士と呼ばれる技能士の役割であるはずです。
印相屋の妄説を真似たり、追随したりすることは、痴人の指令に従うことと同様であります。
また、印章の彫刻に自信がないからと、いとも簡単に出来てしま印相印を販売しやすいからとか、消費者が選ぶからと言う理由で販売することは、印章の啓発に逆行することであります。
自ら省みて疾しい(やましい)刻印は印刀を執る者の死に勝る恥辱であります。
各地の店頭に印相、開運、吉相等の迷信印の意味を表示したり、宣伝したりする業者があるといいます。
恥を知れ!と絶叫するものであります。
自己の職業の使命を忘れて、印章を喰う身中の虫とは、迷信印を彫刻する職人や「技能士」のことであります。
今、印鑑登録に対しての印章不要論や、存在はするが押捺の行為と経験の喪失を意識か無意識にかさせられている銀行印・・・そんな中での身中の虫は、印章を守るという見地から、大いに足を引っ張る行為であると言えます。
以上で、「印章と迷信」についての件(くだり)は終了とさせていただきます。
次回より、「印章の観察法」と言うお話に入ります。この件では、印章と易との関係についても論述していこうと考えています。迷信を生み出す易と、文字学や印章学を中心に置いた易とは、意味が全く違いますが、易すべてを占いとし、敵視していたのでは、論じることもできません。
印章について、とりわけ実用印については、この辺を敵視するか、あいまいにして避けて論じないかのどちらかです。
もはや、それでは印章が守れないというのが現状ではないでしょうか。
これだけ印相が印章業者の間に浸透し、身中の虫となっている今日、我知らずの学問気取りや商売として割り切るということでは、現状打開は困難と言うより無理であると断言しても然りであります。
そこに、少しずつメスを入れていきたいと考えております。
posted: 2014年 5月 2日
第16章 印章と迷信・・・その5
(2)印材と迷信
今でも時折、ご来客のお客様が「私の生まれ年にあった印材はなんですか?」と質問される方がおられます。
これはかつて大量に行われた、新聞、雑誌への印相印の広告と未だにその傘下のネット販売に見られる表示の影響が大きいからだと思います。
生まれ年・・・九星、五行等でその人と印材の相性を云々する者とそれを五行説も何も知らない一部のハンコ屋さんがコピーしてそのままお客様にお見せしている者もいると聞きます。
これは印章を知らず、印刀を執ったことのない者の我流の妄説であります。
「あなたは陰の性だから水牛がよい」
「九紫火星は水牛は相剋だから大凶材となる」
「象牙は晴れがましくて神経系の病を患う」
などと、一かどの見識ぶって人を脅すのであるが、これは荒唐無稽の暴論にすぎません。
印材は印章に適する材を各人が好むままに選べばよいのです。
「銅材、鉄材は業病を患う」
「水晶財は肺病になる」
「鯱の牙は気が狂う」
「鯨の歯は変死するか、家出する」
「五行に相剋する印材は家栄えず」
もうこれらに至ってはまことしやかに論じても、印章業者としてすべきことではありません。
銅鉄の印材は既に往古の官印にあったことで、現在は見当たりません。いまさらに、業病の対照ではありません。
水晶、鯱、鯨、は日本牛、ラクトや樹脂材と同じく、印材として排斥するのは常識上の理由であって、このような迷信の愚論からではありません。
五行説は否定すべきものではありませんが、印材に五行説はこじつけであり、断固否定すべきことであります。
科学と文化を誇る現代においても、相性を欣び、相剋を恐れる傾向は強くあります。
そのために、五行説はあらゆるところに根深く浸透して抜くべからざる力を有しているのです。
五行説とは、天地万物は木・火・土・金・水の五元素から成り立ち、その中の一つが欠けても、宇宙の万物は成立せず、故に天地は万物の母であり、五行は天地の用である。したがって我々地上に住む人間は、この天地の用たる五行に支配されているという中国に起こった宇宙観であり哲学であります。
相性を吉として、相剋を凶とする。
木 剋 土 木 生 火
水 剋 火 土 生 金
金 剋 水 水 生 木
土 剋 水 火 生 土
火 剋 金 金 生 水
これに合わせて印材も、
木性の人・・植物、磁陶、柘材と水牛
火性の人・・磁陶、玉石、象牙
金性の人・・角牙、金銀、水牛
水性の人・・植物、角牙、水牛
となります。
人、各々が生まれた月日による説、姓名の音韻による五行相生説などがありますが、印材にまでこれを持ち出すのは、迷信も甚だしいと言わねばなりません。
人が一生を通じて所有し、接触する物品の数は膨大です。
その物品一つ一つに五行説を応用し、吉凶を判断し、その物品を使用するとなると、その繁雑に茫然自失しなければなりません。
水牛を水に見たり、黄楊(柘)を木に、象牙を土や火に見たりするのは、何の定見もない根拠もない浅はかな思い付きにすぎません。
陽材、陰材の区分も同様の小細工であります。
posted: 2014年 5月 2日
第16章 印章と迷信・・・その4
(1)迷信印章を衝く
<印章は護符に非ず>
パワーストーンというものがあると言います。
それをブレスレッドにして身に着けていたりすると、すごいパワーが備わるらしいですが、印章ではそれはありません。
それに彫刻をして印章としても、パワーがあるとしても、それは印章の役割から来るものではありません。
神社仏閣にあるお守り(護符)は、信心する心から私たちを見守ってくれます。
それには彫刻は不可能なので、とある易者くずれ天津金木に彫刻して護符の役割を果たさそうとしました。
天津金木(あまつかなぎ)とは、お祓いをする棒状のもので、柔らかい材料で、そんなのものに彫刻などできるはずもなく、黄楊(柘)をそれに譬えてだましにかかりました。
印章が病魔を払うごふのようなものならば、この世に医薬の用がありましょうか。
<四字は貧なり>
これも印章を迷信扱いにした暴言であります。
その根拠とするところは、数理上の吉凶から見て、四は病弱短命を現わす凶数であるが故に、姓名を合わせてフルネームで彫刻しないようにというのであります。
実印の要字が名であるので、場合により名のみの彫刻をするのは、美しいレイアウトを得た印章にするためであり、また実印の使用はその人一代限りの法によるもので、決して売卜者流の数理上の凶数のためではありません。
<之印の弁>
四字は貧であるとするのと同一亜流をもって、「印」「之印」「私印」「信印」等の文字を印章に彫るべきで無いとする人がいます。
印は陰に通じるという愚論であります。
印の字の意義も知らずに、また字法も心得ない者が印相を云々し、印の字を排斥することは、印章を冒涜することに通じます。
印の字義は信を示す意であり、印字法として印章のレイアウト上どうしても必要、またはその法を執ることにより、より印がランクアップする時に使用されます。
古印の制では「印字なきものはみな名印に非ず」とまで言っているほどで、「印」「之印」の字は用いるもよし、用いないのもまた可であります。それを執るか執らないかは、刻印者に任せることが一番であります。
ただ現在の印鑑登録の条例のなかで、姓名以外の文字が入る印章は登録できませんとしている市区村町がありますので、ご注意ください。
<怪物印の醜態>
印相家の説くところの五行、花押式の立場から観た寸法、五行、天地陰陽の説は、実際上の印面とそのレイアウトに対立することが多く、矛盾をはらんでいます。
印相家は自らが刻者でない場合が多く、印章の構成法やその技術を知らないので、上記の説・・・即ち易が文字やそのレイアウトより優先した世にも奇怪なる異形の印とも呼べない物が出来上がります。
墨色判断を採り入れたり、中には文字は昇運を示現するが故に、筆勢は必ず跳ね上げるのだといい、古今未曾有のヘンテコな印章もあります。
円の中に不恰好な字とも絵とも文様のように見える得体のしれないもので埋め尽くして、これをお客様という世に推奨することは、如何に米塩のためとは言いながら、人として恥ずべきことであります。
法を知らずして法を乱す者は仏もなおこれを許すといわれます。
されど法を説いて法を乱す売僧は、仏もこれを無間地獄におとすと聞きます。
世に迷えるものを欺き、いたずらな恐怖心をあおり、その隙に乗じて奇利を得んとする印相家と称するものこそ、正に無間地獄に落ち行く売僧と言っても過言ではないでしょう。
posted: 2014年 5月 1日
第16章 印章と迷信・・・その3
(1)迷信印章を衝く
<御祈祷付の印章>
これもまた迷信印章の販売方法です。
信念も根拠もない醜悪なる凡作を糊塗するのに、大きな役割を果たすものが開眼御祈祷付です。
鰯の頭も信心からで、信念の魔術は奏効するかもしれませんが、美のない駄作の迷信印では永くその所有者と世間を瞞着はできません。
真実のない見苦しい印影によって不日信念は覆り、迷信印を捺印したことをその印影の醜痕を眺めて、後悔あるのみであります。
御祈祷付を無条件に有難がる人もいます。
この人は、迷信に陶酔し、なんでも神仏に結び付けないと気の済まない人であります。
印章は自己の信念を示すもので、迷信的な神懸かりの祈祷は却って禁物であります。
祈祷によって霊威を生じたり、立ちどころに巨富を得る印、病気全快の印等があるとすれば、これが迷信印というものであります。
<本家と宗家>
各地に印相の本家とか元祖とか自慢らしく称していますが、これも珍説であります。
印章の宗は中国三千年の昔です。
日本の実用印章の元祖は残念ながら学問的には野育ちで、これを権威とすることは難しいことです。
<本当にあった珍説、妄説>
正しい印章学を提案する者にとって嫌悪すべき説の例、
一、水晶印は五臓がなくまた冷血体である故に、肺病系の病人が一家に続出する。
一、二重輪郭は家庭の複雑、再婚、再縁、二婦を持つ。
一、銅鉄類の印材は一家中に皮膚病に悩む者出で癩病を出す。
一、象牙印は脳貧血等で頓死し、汚点の出来たものは神経病、脚気にかかる。
常識上より判断すると、水晶と肺病、銅鉄類と癩病、象牙と神経病、脚気・・・何ら関係するはずもなく、もし水晶の透明さが肺病患者の皮膚を思わしめ、銅鉄が腐食する様を癩病になぞらえたとすれば、象牙と神経病、脚気はどのように解釈すればよいのでありましょう。
脚気が象牙の象の足のように浮腫するからと言うかもしれませんが、もうこうなると漫才のネタとなります。
以上のような荒唐無稽の珍説を述べ、自己の鑑定製作する印章を推奨し、その印章によって病気災難を免れ一家繁栄、高齢長寿するように宣伝しているが、印章によって病気が治癒すると説くに至っては、印章を以て優秀なる外科医か、神仏の護符のようになすものであり、その厚顔悪辣世情を毒する罪は実に大きいことであります。
また、改印直後に多少運命の動揺を見る人もあり、病弱者にあっては改印により発熱したり一時的に病状が重くなるかのようにいうこともあります。
ここに至っては、無責任な売薬の効能書と同一であります。
人をだまし、印章を食いものにするにも極まれりで、速やかに司直の手が下ることを希求したいものでありますし、いまでも霊感商法や詐欺として新聞に掲載される始末であります。
そして、その書体が印相体(吉相体・吉祥体・開運体・・・すべて同じ)として今日にも生き残っていて、これが印鑑だ!と公道を歩いている始末を嘆かわしく思います。
上記、新聞沙汰になる書体は全て印相体と呼ばれる醜悪なるものです。
posted: 2014年 5月 1日
第16章 印章と迷信・・・その2
(1)迷信印章を衝く
<花園を荒らす者>
「花園を荒らす者は誰だ」
これは藤本胤峯先生が昭和14年に発表した『印章教本』の中の一節であります。
以来70年以上経った今日にも声を大にして叫ばねばならない。
「花園を荒らす者は誰だ」
印章は美の芸術であります。
その風趣、妙韻、典雅さは千姿万態で百花繚乱の花園です。
この花園を荒らす者は誰か。
それは迷信印相を説き、印章道を歪め、米塩の資を稼ぐ、迷信印章の販売業者であります。
市井の印判業者の印章を批判し、無責任な脅迫まがいなハッタリ鑑定で改印を強要し、本人は既製の認印で全てを済まし、迷信の印章を説くというありさまであります。
またハッタリや脅迫が無いにしろ、この流れに追随し、姓名鑑定付き開運吉相印と称する印相書体の流布を現場にて行う一般の印章業者と言えども、正しき印章とその本義から言えば、それは同罪であります。
今、なおさら叫ばねばなりません。
「花園を荒らす者は誰だ」
花園を守ろうとする者とこれを荒らす者との対峙はますます鮮明になってくることでありましょう。
<真、善、美>
認識上における真
倫理上における善
審美上における美
印章は真善美を備えてあらゆる理想に適合し、その形の徳は自らが楽しく、また対者にも印影が好感を与えるものです。
印章の美は気品を尊びその風格こそ大切です。
<印相鑑定の実態>
印相鑑定や鑑定印と言うと、嘗てはデパートやホテルでの鑑定会なるもを言いました。
その鑑定内容は、
「この印相をつくづく観るに、貴下は来年は重病を患い、事によると死亡する相が出ている。」
「今年中に手形の不渡りが三件も生じるから破産する相と観る。」
「この凶印は家庭の乱れがはっきり出ている。妻子に離れるは近い相である。」
「印材のキズと字相の凶は、子供が家名を傷つけるような大きい犯罪を犯す前触れである。」
「致命的大損害が近づいている。即刻改印せよ。今なれば幸運にすぐ切り替えられる。」
「この印相は万事凶の相である。近く火の災いを呼ぶと出ている。」
とうとう数十の出鱈目で、そして巧妙な脅し文句が多様にあって、適当に応用するので、ついどれかが気になって改印をする結果、旧印より更に恐ろしい怪物印を恭しく授けられるのです。
災難とは、このような印相屋に貴重なる印章を見せたところから始まり、更に迷信印はその家に深く入り込み永久に居座ることとなりますので、大損失となります。
彼らは、市井のはんこ屋さんの彫る印章は悉く凶印と断じます。将に痴者の暴言です。
譬え駄作の印と言えども普通作の印章は迷信印よりは優れています。
これは印章業界の名誉にかけて断言できることであります。
ところが、この鑑定会も嘗てに比べると大いに数が減り、消えゆく感があります。
これは、旧式の印相屋が減ったこともありますが、印相印を握っているだけで幸せにはならなかったという賢い消費者の出現もあります。
ところが、最近ではまた迷える消費者に言葉巧みな誘いをかけ、またそのキャッチフレーズを利用したネットからの呼びかけ鑑定印という罠が出てきています。
これは消費者心理に入り込んだ商法であり、印章に限らずの商売のやり方であります。
そう、印章や易学にこだわった商売ではなく、印章がなくなっても違う商材で同じようなことを繰り返すことのできる商売屋さんです。
これに乗っかり、同じようなことを勉強し、追随していったのでは同罪となるばかりか、ハンコ屋は潰しが聞かないので、そのまま路頭に迷うことになるでしょう。
本来、印章の道は深く、極めるに難しい。
印章学を知り自らも篆源に通じ刀を執る者以外の諸説は信ずべきではありません。
印章は美学です。
美のあるところに徳を生じ、善を呼びます。
紳士淑女は紳士淑女らしく、富者は富者らしい印が恵まれる。
貧者守銭奴には徳なき三文判や迷信印によって更に世の人から常識を疑われ、遂には信用を失墜します。
迷信印を捺印して商談が不成立になった例は多いと聞きます。
これは醜悪な印を用いるがごとき不見識を見透かされてのことであります。
迷信印を押し頂いている人はその醜悪さを見極めることが出来ない悲劇を生みます。
それに反して、真善美の印章はその人の人格を高め、信用の増大に誘導する気品と徳を備えるものであります。
posted: 2014年 5月 1日
第16章 印章と迷信・・・その1
第16章 印章と迷信
(1)迷信印章を衝く
<真相を究明>
魔性の迷信印章について、具体的にその正体を紹介していきます。
迷信の印章をかくまで糺明する理由は、印章を論じるとき必ずこれら迷信説と混淆せられて玉石一様に誤解を招くことを避けるためと、印章に関心を持つ人は既に印相の興味を持っていますが、その真相を知らない。最近では、印章業者も知らない。
これらの人々に対しての啓発をかねたものです。
<儲かる印章>
世の中には様々な迷信が種々の物事に寄生しています。
その迷信を下すと「仏滅」「丙午」の如く、各々が勝手に凶を創り出し、合理的な生活の邪魔をしています。
世界各国に迷信は多くあります。
合理的な宗教のなかにも非合理の要素はあります。
迷信としての性質を計る尺度は容易ではありません。
日本にも迷信は多く、うるさいぐらいに周辺に付きまといます。
印章にも迷信があり、迷信の印もあります。
印章はその所有者の信用、富力、権威に正比例する重要な威力あるものだけに、財力に関しては人の心は動じ易い。
そこを狙って「金がもうかる」「病が治る」「出世する」とまことしやかに呼びかけて出現したのが迷信の印章です。
立派な作である印章を持つ人が成功するのは合理性に一致するからであります。
理性の承認し得ない常識に背く迷妄の説を以て、印章の力を論じたり、怪しげなる印章を流布し世人を迷わすは迷信犯であります。
<迷信の巣となった昔の印相学>
昔、私印が許されて印相が流行したのは享保前後であります。
花押の指南書の『印判秘訣』『名判集成』などの中に、「皇国ニテハ後醍醐天皇ノ御時、天文博士安倍有宗入道、人ノ判形ヲ見テ吉凶ヲトフ」とあります。
これは、書判を見た一種の墨色判断であり、現代の印章のようなものを指しているのではありません。
次に文化13年に『実印の穿鑿』と言う本がありました。
もっぱら下剋上の印を使用することを戒めたもので、この部分だけとれば道理ではありますが、他は五行説花押型式の印相です。
この著者も印学篆源を知らないので、怪しげな篆書の説明を為し、却って篆書を知らないことを露呈しています。
これらの著書の如き迷信印章は発生し、次第に変化しながら今日に及んでいる。
今日の印相体という書体も同じ理屈であることには変わりはありません。
<印相という語>
印相という辞は、印章を指す言葉ではありません。
これは諸所の相学に準じてできた新語でありました。
別に忌むべき語ではありませんが、今日では迷信的な語感を伴い「印相判」といえば識者の間では迷信印を指し侮蔑を含む言葉となっています。
印相印、運命印、出世印、繁盛印、吉祥印、吉相印・・・等々、このほかにも概ねこれに類した迷信印が次々と泡沫の如く現れては消えて、未だに存在しているのです。
共通するのは醜悪な文字と商魂に徹した欺瞞の表示であります。
<角型の印は借金判なり>
みなさんが印章店でお求めになる実印や銀行印、認印は概ね丸の輪郭の中にお名前が入っています。
今では当たり前のように丸型の印を目にしますが、法人印の社印のように角型では、印鑑登録が出来ないのでしょうか。
角印は貧印で借金する側の印だという説が大正初期に起こりました。
これが現代の印章に対する運命学的な観察の第一号であろうと言われています。
日本の私印、即ち実印の正印で官印でないものは江戸時代からずっとほぼ丸型印でありました。
大正に時代が移ると、角型の実印が出現しました。
しかし、どうしたものか角印を持つ人は財運に背き失敗者が目立って多いので、老練の金融業者は角印では金を貸さないのが常識になってしまった。
角印の貧は勿論何ら科学的根拠はありません。
しかし当時、科学的なまでに悲運不遇の人が角印の所有者でありました。
印判業者は別に気にも留めずに、角印でも丸印でも売れればそれでよしとしていました。
この時これに着眼したのが、流行らぬ易者や商魂たくましい僧侶、祈祷師でありました。
彼らが人相、墓相、家相、姓名学などに花押式の説を織り交ぜて案出したのが「印相」でありました。
これらは角印を必要以上に攻撃し、刻法を問わず角印の凶を宣伝し脅しました。
角印の悪さの一点のみを衝いて成功したのであります。
その辺縁として、今でも印相判の社印である角印は角をきつく削りアールを持たせた、丸に近いイメージにして、角印の排撃を続けています。
この宣伝と脅しが大いにあたり、新しい商売の手段として適切と知った彼らは、一犬虚を吠えて万犬実を伝うの譬えにもれず、暫時珍妙な妄説を加え、昭和の初期には迷信印相を確立し、財欲に迷う人々を迷妄の説で瞞着し、印相家と称し各地に醜印を拡散した。
しかしその説の説くところは、印章の本質を知らず、実印、銀行印などを重要な箇所へ使用したことのない輩のことでありますので、詭弁も見破られ、嘲笑の裡に逃げ出す者もあり、また新しい迷説を着想した者が現れては消えていきました。
<初期の迷信印>
初期の迷信印の中で角印の凶に次いで「輪郭の四隅に文字が接触しているのは四がつくので凶」という珍説が出現した。
四の数字の凶と死に通音するので貧乏と急死を招来すると脅し、これを改めると称してその一点を輪郭より切り取ると、一隅を空けて三点となり吉の数で大幸運に転じること疑いなしの大吉相印という、子供だましのお手軽な妄説でありましたが、これも財を尊ぶ心理をつかんで、一時は流行しました。
やがて根も葉もない説なので、飽きられて省みる者もなく滅んでいきました。
次いで五行説、七点五位式、神代文字式、気学応用などが派生し百鬼夜行が始まりました。
posted: 2014年 5月 1日第15章 印材・・・その4
(2)現代の実用印材
<柘(つげ)材、黄楊材>
最も大衆的な印材でありますが、最近では枯渇しており、業界あげての植樹も行われておりますが、価格も高騰は否めません。
それにより、輸入材のアカネ科の材がこれに代わり、市場に出ておりますが、彫刻具合が悪く、機械彫刻用の材料であります。
一般的には柘材は、彫刻に適し、理想的な良材でありますので、印材の他にも柘櫛や将棋の駒としても有名です。
惜しむらくはその質が柔らかくて弱く、木扁に石と書き、硬いようなイメージがありますが、脆弱な印材であります。
柘材は、官公印、社印(角印)、図書印、領収印、寺社印で大きなサイズ(21ミリ以上)であれば差支えありません。
使用頻度の多い場合は、磨滅と欠落を生じますので、避けられて方が良いとされています。
実印、銀行印や法人用実印の小寸で重要な印章には避けられるべき材料です。
柘の印章とかけて?・・・木綿の礼服と説く・・・ご質素ではございますが、腹の場所では気がひける。
印章は刻技が第一でありますので、印材は柘でもよい訳ですが・・・
・・・柘材を求める心理は、そのまま印章を軽んずる精神に通じます。
柘材の欠点
一、印章が軽々しく安っぽい感じがある。
一、輪郭の欠落と印面の埋まりが多い。
一、磨滅が早く、永く美しく使用できない。
就中、印章としての品位に乏しいのが最大の欠点であります。
実際の利用価値から見ても、「一文を吝みて百文を損する」の材であります。
印は柘に限るとか、印に金をかけるなとか、こうした気持ちの人は、信念は安物でよいという意識の人であります。
また、柘材は水牛材や象牙に比べて、植物材で血が流れていなく、吉材であるとするのも迷信であります。
「印章を軽んずる者は、重く用いてはいけない」と言う諺もあります。
印面不変の材を選ぶと、一生涯使用できるものです。
信を変えず・・・印章を変えずに通じます。
安物を度々代えるのは損なやり方であり、最低限水牛材を選びたいものであります。
<その他の印材>
先継ぎの印材、鹿の角、鯨の牙、カバの牙、マンモス、水晶、虎目石、瑪瑙、琥珀などがあります。
その他、新素材というモノがあり、これは加熱圧縮技術の進歩によりいろいろな印材ができています。
しかし実用印章には、象牙材と水牛材が最も推奨できる適材であることにはすべての時代をもって不変であります。
posted: 2014年 4月 30日