第15章 印材・・・その3
(2)現代の実用印材
<水牛材・黒水牛>
最も多く用いられているのは水牛印であります。
これは水牛の角で作ったもので、印材としては象牙に次ぐ適材であります。
その性質は粘く強いので、一生涯使用し得るし、価格もリーゾナブルで現代印章の基調です。
水牛材は、水牛の体毛が硬化してできたもので、繊維質という性質上、虫食いの心配があります。
またひび割れて筋が出ることと、時折手入れをしないと干からびたような色になって、品のない印章になる点が象牙に劣るところです。
水牛材を求めるときは、「芯持ち」にするべきだあります。
芯持ちとは、水牛の角の先の芯の通ったところで作るから、一本の角で一本の印材しか取れません。
芯に沿って芯を避けて、認印なら二本とれます。
空洞になった側で取る印材をワリと称し、これはひび割れ、歪みがでるので印材には禁物であります。
水牛材はよく染色して黒くすることがあります。自然のままで黒く越したことはないのですが、染めを避ける必要は何もありません。
最近染めずに材料を加熱圧縮してある材がありますが、仕上げ刀の冴えが見れず、機械彫りにはよいかもしれませんが、彫刻感が「サクイ」として手で仕上げる職人さんからは嫌われています。
また、最近では先に中国業者に大量購入され、日本に入りづらくなり、数が少ないのと価格も驚くほどの上昇率です。
<白水牛>
牛角(うしのつの)あるいはオランダ水牛と呼ばれているものは、陸牛であり水牛ではありません。水牛で白水牛というものがあるのですが、往々にしてひび割れがひどく、現在はあまり使用されていません。オランダ水牛を白水牛と呼んでいるお店もあります。
<牛角(オランダ水牛)>
この印材も現在上記理由でメーカー、問屋に少なくなっています。
とりわけ、飴色のものが品が良く上等品とされていますが、この色がとりわけありません。
黒茶色のブチのものと、それがないものとがあります。
希少性としては、ブチなしの「純白」とよばれるものが高級となります。
オランダ水牛には、興味ある統計があるとされています。
水晶の角印が失敗と不遇の印材とされるのと反対に、財運大いに動く・・・との説があります。これを銀行印に用いると、金銭と人の出入りが多く、賑わしくなり活気あふれる大変に縁起の良い印材であります。これは「動」の暗示であるらしく、逆運が一転した商工業者、とくに飲食業、接客業の人に良いとされる。
勿論良い印材だけではダメで、刻法も正法の作でなければ意味を持ちません。
これは俗説で迷信と言えばそれまででありますが、一応の知識とされておくとよいでしょう。
<日本牛角材>
日本の陸牛を印材として使用することは、終戦後の印材欠乏期に起こりました。
象牙、水牛と海外からの輸入に依存していますので、戦争の結果、印材は供給源を絶たれました。
その需要を満たすべく表れたのは戦闘機の風防からできたラクトロイド(当時は風防と呼ばれていました)と日本牛であり、ともに歓迎できないニューフェイスでありました。
日本の牛角が水牛材に劣る点は、芯持ちでも容易に歪み、ひび割れを生じ、員面中央が凹み、耐久力に欠ける点であります。
印章は生涯の伴侶であるので、材質不変こそ第一に要求されるべきであります。
それゆえ現在では、信用あるお店からはその姿を消しています。
<合成樹脂印材>
戦後の風防から端を発した合成樹脂は、ラクトロイド、セルロイド、エボナイト等々と化学的に進化し、現在では硬質樹脂材ができ、カラフル美しい色や文様がプリントや他の方法で施され、「オシャレ」や「和風」という名で出ていますが、あくまでも昔の名前で「風防」と言うことには、変わりありません。
それは、ラクト材の白いものを「新象牙」と名乗ったり、黒い色のものを「新水牛」と名乗らしたりと、名前を変えての歴史があります。
ラクト材の大きなものを象牙と信じて、改刻という彫り直しに来られたり、とお客様の目をくらましてだましてきたのがこの材料です。
総じて、合成樹脂印材の最大の欠点は、柘材よりも危弱で、輪郭が欠落します。早いときは2~3か月で欠け落ちてしまうことがあります。
また、印刀で彫るのに調子が悪く、仕上げ刀の冴えが出ずに、上手なはんこ職人の仕事でも味のある作品にはなりません。もっぱら機械彫刻優先の材料と言っても間違いではありません。
posted: 2014年 4月 30日
第15章 印材・・・その2
(2)現代の実用印材
<印材即人生>
現在では、前述の一般印材は殆ど篆刻の雅印、遊印に限られ、実用印章としての正印としての印材は、自然材では象牙、水牛、柘材に限られます。
この印材としてのさらなる詳しい説明は後に譲るとして、藤本胤峯先生がその著書『印章と人生』のなかで述べられていることが、印章として最もわかりやすい要点をついていると思いますので、古い言い回しや表現がありますが、そのまま記載させていただきます。
ある人が印材を列車の乗客に譬えて、
「一等白切符客は象牙クラスの最高の紳士」
「二等青切符客は水牛材クラスの中流の紳士」
「三等赤切符客は柘材クラスの下層の貧士」
「ラクトロイドの印材クラスは貨車に乗ってもらわねばならない」
と、云々。これこそ、いみじくも言い当てた感がある。
象牙材は良いことがわかっていても、白切符は案外少ない。
人生の終点まで邁進する列車は一等でありたい。列車は数時間で降りるが、人生列車の終着駅までは長いのだから、気持ちよく、楽しく、ゆっくり構えたい。
しかも料金もそう高いものでもないのだから、一生の通し切符としてこんなに安いものはあるまい。
二等の乗客は内容のお粗末な人も一様にすまし込んで、一寸偉いぞという顔をしている。三等が混んできて、二等も座席が不安定ともなれば、おちおち出来ないし、さりとて白切符も惜しいと利害打算にすまし込んではいても、頭の中は不安焦燥の旅行である。
三等と貨車の話はやめておこう。海の向こうの文化国では三等を廃止したそうだから。貨車は人間の乗る所ではない。これも論外である。
柘材は脆く、終点まで一本では保ち得ない。何回も求めなければならぬから、結局白切符料金で三等旅行をしたことになり、疲労困憊、ふらふらで終点にた辿り着く人生となる。
今なら新幹線や飛行機のお話になるのかもわかりません。
ちなみに貨車扱いされているラクトロイド材と言うのは、店先の三文判や100円ショップの印鑑だけでなく、色とりどりの樹脂印も含まれることは明白ですが、「オシャレ」や「和風」と言うプリント柄や言葉にだまされ、貨車で人生を送ることのなきようご注意ください。
<象牙>
象牙の印章は紳士淑女の材であります。
「価格が高い」とか「贅沢だ」との理由で、象牙を好まない人がいます。
堂々たる象牙印章は、その人の生活の豊かさと、安定を感じさせる有徳の良材であります。
あらゆる印材のなかで、象牙に勝る材質はありませんので、識者は好んでこれを使用します。
その理由と特長は、
一、印影が鮮明で、磨滅が少ない。
一、彫刻に最も適し、風格不変である。
一、長年使用するほど美しさを増す。
一、印章の品位に相ふさわしく、信頼と尊敬を伴う。
一、使用する人の人格を高める。
一、屈曲、ひび割れ、虫食いの心配がない。
象牙材と言っても、品質により価格差が激しく、最高級品と粗悪品では十数倍ほどの開きがあります。
粗悪品は、特長でしるした屈曲、ひび割れが生じる場合があります。
ハード材(硬質象牙)の最高で良質と言われるものは、ある程度の透明感があり、象牙独特の色と艶、そして滑らかな手触りなど、愛好家にとってたまらない魅力をもつものであり、希少性も高いものです。
根付という象牙細工がありますが、それにはハード材の最高級品が使用されていることは有名であります。
しかし、印材の高級と華美のみを歓びとし、印材とそのケースの豪華を誇り、求るに肝要の印面の彫刻に留意しない気性の人は、浪費と見栄でいつしか財産を失うものです。
印材に最高を望む共に、字法・章法・刀法という印章三法にかなった刻者のいるお店に一任してこそ、護財と信を示す宝器は完成するのです。
象牙の見分け方は、その生息地域によりソフト材やハード材がありますし、その見分け方も難しく、扱っている印章業者でさえ分かりにくいものでありますが、一応の目安としては、
一、色が淡紅色を帯びた淡いクリーム色であること。
一、つややかな光沢があること。
一、杢目が交錯していないこと。
一、真っ白なものは、白生地という安物。
最近では曝したものもあるので注意。
一、黄ばんだ色、くすんだ色は安物。
一見しては、この程度であります。
良い技術者の人は多くの象牙の彫刻に携わっておりますので、良くご相談の上に決定されてはと思います。
また、横目という加工の部分の取り方の違いでできる印材は、とても高価ですが、手での彫刻が困難でありますので、その刀法の冴えを見せることが出来ませんので、避けられた方が良いものです。サイドの模様が日輪に似ているのでそう呼ばれて、開運印や吉相印として高額な価格をつけていますが、実用性なきものですので、迷信にだまされぬよう注意してください。
あた、芯持ち材と言う象牙がありますが、水牛は是でないと屈曲をおこすのですが、象牙の場合芯の部分が柔らかく抜ける可能性大ですので、よろしくありません。芯にもっとも近い目の細かいものが部所的には最高のものです。
横目と芯持ち材は、業者の印材紹介には書かれることがありませんが、それは高級品を彫刻技術の良さで販売するのではなく、材料の高額で販売する「高く売る」ためのものであるからです。
posted: 2014年 4月 29日
第15章 印材・・・その1
(1)一般印材・・・その1
■玉印(天子の印) 三代は玉で印を造っていました。秦漢の時代には天子だけが用いていましたが、ときには私印として用いていたようであります。
わが国には玉をタマと訓読するので、水晶瑪瑙(めのう)の類よりなる球形のものを玉と称し、従ってこれら球形のものを玉として誤解しているものもありますが、玉は「ギョク」と称する別種のものです。
色の白いものを上として、温潤で光沢があって、青味をおびたものが中級品であります。
■金印 漢の王侯が用いたもので、私印には多少用いられました。古代において金あるいは銀の印を用いた人の品級を別つためであったが、金は貴重なものである反面兎角潰して他物に利用される傾向があるので、私印で伝わっているのは極稀であります。
■銀印 漢の官印は銀印で亀の鈕でありました。もっともこれは年俸二千石の郡の太守の印で、このほか一品、二品(漢の位)までは銀印で、それ以下はみな銅印でありました。私印にも多少は用いられたが、銀印の弱点は柔らかくて鋒がなく、鑑賞するには俗気がありすぎる上に早く潰しになりやすいのも、また金印と同様であります。
■銅印 古今を通じて官印にも私印にも用いられました。銅印の文は強くて趣もありますが、新しい物より古いものを尊ばれています。製作法には鋳あり、鑿(さく)あり、塗金、商金ありと言われています。塗金とは、金メッキのことであり、商金とは金象嵌をしたのであろうと推察されます。
■鉄印 漢唐宋の時代にも用いられたが、その質が腐食しやすいために、現代に残っているものは極稀であります。印材には適していません。鉄印は極印乃至焼判用のものに過ぎません。
■宝石印 宝石は「古以て印となさず」とあります。私印に一、二を止めるだけです。
■瑪瑙(メノウ)印 瑪瑙は官印に用いたものはなく、私印にはわずかな例を見ますが、その文剛燥にして温かみがないことを理由に、俗に近しと言って排斥されています。瑪瑙は水晶の類であり、質はそれよりも硬く刻法もまた最も力を費やさねばならない難物であります。心ある人は水晶印と共にこれを避けています。
■琥珀蜜蝋印 官位を追贈するときに蝋印または蜜印を承け賜うとありますが、蜂蜜で蝋を造ったから、蝋印とも蜜印ともいうと説かれています。即ちこれが琥珀蜜蝋印でありますが、装飾用のものであって実用印ではありません。
■磁印 磁(陶)印は唐宋時代に初めて私印として用いられた。質が硬く、彫刻するのが難しい。その文は玉にも似ていてそれよりも稍粗であります。亀鈕、磁鈕、鼻鈕の制があります。古いものほど良いと言われています。
■水晶印 質が硬く、刻し難い。「その文滑らかにして潤わず」と言われ、印面が危うくて壊れやすく、印材として俗悪なるものの代表というべきであります。
■石印 古制にはないが彫刻に便であり、「その文は潤沢の光あり、金玉といえどもこれと優劣を比し難し」と言われているが、性質上久しきにわたって耐えることが出来ないから伝えられているのは稀であります。石材には青田石、寿山石、昌化石等がありますが、明時代には青田石はその価玉よりも高しといわれたこともありました。寿山石の本物は現代では稀で、昌化石のなかには、鶏血石のような高価なものもあります。
■象牙印 象牙を私印に用いたのは唐以降のことであるといわれ、四百石以下の者はみな象牙をもって印を造ると史に残されています。その質が硬いので朱文に適しています。現代印章においては、水牛、黄楊(柘植)と共に三印材として多く利用されています。
■犀角(さいのつの)、水牛印 漢時代において、二千石以下四百石に至るまでの官吏の印とされていました。現在ではその価格が象牙より下でありますが、昔は是が逆転していました。その質は粘く彫刻に適しています。
■黄楊印 「その文に趣なし」と言われるが、経済的に見てこの印材が現代では最も多く使用されています。何人が印材として用いても支障のない極く一般的なものです。
■梅印、竹印、伽楠(かなん)印 梅根、竹根、伽楠(きゃら)等も印に用いられているが、雅印に限られ実用には不向きであります。
posted: 2014年 4月 29日
第14章 花押・・・その3
(3)日本のサイン学
<花押より印章へ>
もともと花押は自署から起こったものであります。
自署すべきであるものが、次第に文書の信を示す印章と同じように、署名の下に花押を押すことが表立った書類には必ず行われるようになった。
テレビの時代劇で、書状の署名の下に花押があることが時折見かけられる。
武士のサインとも言われる由縁であります。
それと共に、象牙、水牛、柘等で輪郭だけを彫って、これを押した中を墨でうめるもの、または花押を彫って印章としたりすることで、次第に印章と花押が接近しました。
このように花押も印章と同様に文書に権威を与え、かつその効力を認めさせたのであります。
遂に明治6年7月5日の布告を以て、同年10月1日以降は一切の証書は実印を用いることとなり、花押は印章としては無効となり、一般には行われないようになりました。
しかし、今日でも法廷などにも略押は残っているし、一部の人には実用せられています。
<印章より花押へ>
花押が印章に接近し、印章は花押を圧して臣を示す第一の権威を握って、その王座にあること既に140年を経過しました。
しかし、印章の堕落は目を蔽いたくなるような現状があります。
三文判と呼ばれる既製の判子が100円ショップで販売され、それを実印とする人やPC型彫刻機の内臓ソフトで同一印が平気で別彫り彫刻とされ、迷信印相印を安価激安と名乗り販売されています。
どこかの市長さんではありませんが、印章無用論の台頭は当然至極の事かもわかりません。
このまま推移すれば、案外早くに私印は花押によるサインとなり印章は公印や官印に限られた藤原時代に逆流してしまうことと推察いたします。
既製印や三文判まがいのPCソフトの文字での彫刻の濫用はますます増加の傾向にあるので、印章の信用は暫時崩壊し、やがて自筆のサインが信憑として重きを加える結果となることでしょう。
文字さえ知らない印章業者の増加、昨日職に就いたアルバイトがPCで打ち出した名を彫る醜悪な印章よりは、草体、明朝体の美しいサインの方が文化的であります。
印章が花押より優れているから、法律でも印章を以て、信憑の要具としたのであるから、今となって再びこの逆転が起これば、印章美学を知る者には大きな悲しみであります。
印章を守る道は、印章への正しい認識と向上であります。
業者はこの際断固として、既製品、三文判はもちろん、PCソフトによる印章、並びに迷信的な印相書体とせれる印章を排撃すべきであります。
下らぬ三文判よりは優雅な花押がよい、しかし花押では及びもつかない正しい印章が存在する・・・それは、印章学による正しい刻法による印章であります。
<現在の花押>
戦前は親任官は花押を用いました。それ故に、花押の所有は高位の象徴のような存在であったこともあります。
現在では政治家、僧侶、俳人、芸能人が好んで用います。
これらは儀式にも実用すると共に、出先での揮毫には、落款の印ともなり重宝がられました。
形式は明朝体で、反切帰納字を五位、七点の法で構成したものが正法となっています。これも印章の篆法と同様、難解であり、これを極める者も少ないので、堂々たる証書を附して構成されたものに、往々出所不明、出鱈目の改作や、草書や行書を自分なりにそれらしく見せたものも横行しています。
花押は風雅と品位を第一として、楽しく愛用できるものでありますので、やたらに五行説にこだわり、不格好なものを用いることは愚かしいことであります。
この辺は、印章にも言えることであります。
花押は蔵書印や封緘印に転用されてきています。
今後は様々な方面への活躍が望めます。
また花押は印章としてではなく、日本のサインとして東洋風の魅力ある風格を備えていて、欧米のサインより遥かに優秀な存在であります。
<歴史を繰り返すな>
欧米のサインより優雅な花押でありますが、信を示すものとして何故その地位を400年あまりで、印章に譲らねばならなかったかという考察に、京都の水野恵氏が面白いことをお話しされておりますので、ご紹介しておきます。京ことばはそのままに記載致します。
「戦国時代の初め、武将たちはそれまでの習慣に従うて、示信は花押と思い、それを実行してたと思います。そのうち偽花押で騙される事が頻発したと思います。花押は何しろ一回々々手で書くもんどす。手で書く限り、書く度に形が変わります。神さんでも同じ花押を二つと書けしまへん。
と言う事は真似て書く側、つまり偽造する側にとって、大変ラクに出来ます。識別する側も最終的な決め手がおへんのや。食うか食われるかの時に、こんな頼りないもんではあきまへん。敵方に欺される(だまされる)のも困るけど、武将達にとって、友好関係先に送った文書が疑われるのも困る事どす。それは羽有効に戦略を実行出来ん事になります。その事では印章は花押より遥かに確実どす。・・・以下略。」(水野恵著『日本篆刻物語』より)
posted: 2014年 4月 28日第14章 花押・・・その2
(2)花押の神秘・・・その1
七点五位の法によって構成された花押は、自己の名乗、家名を表すのみでなく、ある種の信仰に通じたと言えます。
即ち、名を一字に帰納する真韻は、強力な神秘力を備え、七点五位の徳を包蔵するものとされ、護身の符として大切に扱われました。
紙片に花押をしたためて、焼いて灰となし、これを服用すると百病たちまち癒ゆと。また灰にしている間がないときは、掌に指で書いた花押を飲む真似をすると、急病も即時全快すると信じられていました。
「名」を尊んだその当時としては、ありそうなことであります。
家の名、自己の名に対する信仰と五行説の神秘は、充分に霊薬的効果を発揮したと推察されます。
韻鏡・・・明朝体の花押は、反切帰納字を用いるので、構成に先立って韻鏡の要点のみをお話しいたします。
韻鏡十年という句があるぐらいに、これは難解な学問とされています。
宋の時代より起こった韻(音のひびき)を反切帰納する。即ち、文音と母音より子音を求めて、また反切する孫引きであります。
我が国へは弘法大師が持ち帰られたが、未解のままお蔵入りになっていたのを、明了房信範が世に出したものと言われています。
爾来、国学者は韻を正す為にこれを用いたということです。
姓名の主要字または名乗、雅号のうちより二字を父字母字とし、四声(平声、上声、去声、入声)の平仄を分かち、切音を求めて、更に帰字を得ます。
この方法の説明は、例えば紙上で印章彫刻の論理をいくら述べても、実際には彫刻できるようにならないのと同様、帰字を得ることはそれほどたやすいものではありません。
<構成法>
帰納の字を七点五位の法を屈伸して作ります。
五位とは穴の数を性(しょう)に合わせる法を言い、木・火・土・金・水の五行と地・水・火・風・空の五大であります。
七点とは、第一命運点・第二愛敬点・第三福徳点・第四居住点、第五降魔点・第六眷属点・第七知恵点・・・この位置は別ページの如くであります。
七点の式の例 利恭、反切帰納字「龍」画卦一乾天長地久、
父字「利」火性 母字「久」木性
木生火、
比 和、
大 吉、
五 穴
穴の数の相性に合わせることは、その数の採り方と、その他にも異説もあり、また迷信くさい点も多々ありますので省略いたします。
花押構成上の妙味は「荘厳点」であります。
これは全てに用いるものではなく、文字が凶画のときに、右肩に打つ点のことであります。
この一点の画で吉に転じる法は、極めて妙手であります。
印章の摹印篆の増減の法と同じく、凶画の凶名も祥福の大吉となり、大吉運を得る吉数に易易と変化させます。
<判作り>
花押の構成は至難の業でありますので、これらの考案はその道の学者に依頼されることが多かったようです。
僧侶、天文博士等が主でありましたが、江戸時代になり、これを専業とした判作りが、京都、江戸、大坂には存在したようであります。
この書判作りが、明治6年の印章制度の確立と共に花押は亡び、活路を印章に求めて実印師に変じていきました。
しかし、印章学による字法、章法、刀法(印章三法)を知らないので、判作りそのままの姿であり、看板も「韻鏡名乗改、実印師」という調子であった。
そして依然として、反切帰納の字を篆書に似せて刻すと共に、五位の法である穴の数を吉凶に当てはめていたので、印章の正道より見れば思わぬ実印師が続出して、遂にこれが庶民の実印を、思い付きのままに彫ったのであります。
現在、幸運の印章とか、吉相印、開運印と称する輩の作る所のものは、この判作りの吉凶説に端を発したもので、しかも反切もしない今日の印章に、穴の数も調整できるはずもなく、ただ漫然と円に一杯に彫って、これが例動力を有する如く宣伝するのは、ナンセンスに過ぎないのであります。
以外にも知名の士や文化人とされる人がいとも簡単にこの宣伝に引っかかるのは、ここに印章に対する知識の欠如による悲劇があるのと同時に、いかに正しき印章の啓発が出来ていないかを物語っています。
そして、花押が進化したような宣伝屋の片棒担ぎが、印章業者には多くいるということも頭に入れておかねばならないことです。
この判の書体の終結された印相体や八方篆書体を、販売がしやすいとか売れるからということでいとも簡単になびく業者の見識無きその姿は、同罪といってもいいものであり、正しき印章業者の看板を外すべきことであり、恥を知るべきでもあります。
posted: 2014年 4月 28日
第14章 花押・・・その1
第14章 花押
(1)花押の形式
<印判との区分>
花押とは書判(かきはん)のことであります。
天皇御璽や太政官印という官印が印章として生き残り、私印のほとんどが衰退した平安時代の中期以降、花押という書面に書いて判(印章)の代わりとする、いわゆる書判の時代がありました。
藤原時代を全盛期に室町時代の前半まで約五百年以上続きます。
<花押の起源と構成>・・・その1
起源については、諸説あります。
インドではお釈迦様の華字があり、中国では漢の末期には花押に関する書物まで出版されたと言います。
我が国では和銅年間説ということは千二百年まえということになります。
また新井白石の説では、奈良朝に天皇が詔勅に宸筆で「可」「勅」「宜」の文字を記入せられたのを始まりとしています。
□花押の重なる書体とその時代を挙げると、
●草名体・・・平安期
●二合体・・・鎌倉時代、足利時代
●別様体・・・織豊時代
●明朝体・・・江戸時代より現代に至る
<花押の起源と構成>・・・その2
●草名体は一番古いもので、文字を草花に似せて作られる。平安より室町に亘る、万葉の全盛期を通じて行われたもので、花押の初歩であります。自署の変化であり、公卿のものに多く、見事な風格ある花押ものこっています。
●二合体・・・二字体ともいい、姓名、名乗、雅号等から二字を選び、その冠、旁、扁、辶などを二つ合わせて構成する。有名な二字体に源頼朝の花押があります。頼の扁「束」と朝の旁「月」を合わせたものであります。
●別様体・・・これは姓名その他に関連せず、思うままに好む文字を形にして用いるものであります。戦国時代の武家に好まれました。身分の低い無筆のものは、簡な形を書いて花押に代用していました。即ち略押であります。これも別様体に包含されます。
●明朝体・・・明の太祖が創始したということになっているので、この名称があります。この形式は花押として完成されたものであります。
我が国では徳川判と称せられて、署名の下に印章を押すように花押を据えました。このように文章を確実にする信憑として、将軍より大名、武士は勿論、一般にも利用されてその構成法も発達しました。
明朝体は一字を以て作る。姓、名、名乗を韻鏡(いんきょう)の法則によって、二字の音を合わせて一字を作る反切(はんせつ)の帰納字(きのうじ)といいます。この字を七点之式や五位の法によって、その人の性(しょう)に会う形と穴を作ります。これらは陰陽五行説に因るものであって、必ずこれを墨守したのは江戸時代であります。
posted: 2014年 4月 28日
第13章 篆刻・・・その2
(2)篆刻の沿革
<日本の篆刻>
日本でも古くからおこなわれていたようでありますが、いずれも隋唐、宋、元の印の在り方を真似た程度でありますので、良印は見られませんでした。
殊に室町時代以降、宋元の画風に倣った作品には篆書の偽繆が多いようでります。
また宋、元の印章の荒頽の弊を承けたから極めて拙劣なものでありました。
然るに明の滅亡と同時に、我が国に渡来した隠元禅師の徒独立性易は、明代の篆刻の巨匠文三橋に学び書は王寵に学んだ人であり、この人が真の印章学を我が国に伝えたのであります。
このことは、徳川時代の文化人たちに大いに影響を与え、その書風が漢学の流行に伴って行われ文三橋派の篆刻は、まだ当時極めて幼稚であった我が国の印章に、多大な刺激を与えた。
次いで甲州より高芙蓉(こうふよう)が出て、ようやく舶載された古銅印譜に着目し復古を唱え、我が国の印章学の基礎を固めて世に印聖の名を博しました。
この後、印章学は一変し、ますます開けていった。
高芙蓉の門下には曾之唯、葛子琴、初世浜村蔵六らがいましたが、その数は少なく、一般の実用印章への影響がなかったのは残念と言わなければならない。
文化文政の頃とて、文人にして鉄筆を弄する者は極めて少なく、自ら刻り、自ら用いたものに頼山陽がいました。田能村竹田(たのむらちくでん)その他の知人にも贈印しています。
明治になると長﨑の小曾根乾堂も高芙蓉の流れをくみ、来泊する清国人とも交友、その刻を求めるものが多くいたと言います。
それからのちの事を論じることは書道界の篆刻家に席を譲ります。
現代はこれらの流れを承けて、明清に学び、漢印を究めんとして、篆刻人口も増えていきました。
(3)落款の印章
<東洋特有の美学>
落款は書画を落成した証印として、筆者自らがその姓名、雅号、花押を記入したり、その印章を押捺することを言います。
落款の印章は三顆組を以て一般的に用いられます。
□引首印・・・一顆・・朱白いずれでも可
□款 印・・・一顆・・白文
□識 印・・・一顆・・朱文
<引首印(いんしゅいん)>
関防印(かんぼういん)とも称し、作品の右肩に押捺するもので、刻字は斉堂館閣の名、自己の好む句、または心境を表す語を用い、形も変化を求めて、瓢(ひさご)、鼎(かなえ)、円、楕円を用いても良いが、石材が長方形のものが多い。
作品の全幅であることとその端初を示す意味にもなります。
<款印>
左下に押すもので、款とは文字を凹く刻る文字であります。文字は押捺して、白く出るので白文と言い、その輪郭を闌といいます。
<識印>
款印の下に押捺するもので、識は款の反対で、文字が朱で表れる刻法で、朱文と言いその輪郭を辺といいます。
款識には姓名、雅号を刻る。
落款は作品に対して署名捺印するのでありますから、その捺印は慎重でなければならないと共に、その押捺する位置もよく考えないと、却って全局を損じることになります。
<印材と刻法>
落款は雅印であります。石材、陶材、竹材、柘材も良いが、石材が力感のある作品ができるので、最適といえます。
刻法の解説は、最近の篆刻書に話を譲ります。
<雅印と正印>
落款印その他の風流に用いる印章は、全て「雅印」「遊印」と考えてよいと考えます。
正印とは、実印、銀行印、認印、法人印のような実用印章を指します。
落款印も筆者の信を示すものではありますが、実印、銀行印の信憑性とはその意義が異なります
雅印の刻法で正印としては不適な場合があります。
雅印と正印は自ら独自の領域が存在するものであります。
いくら起源を音字くしたものでも、分野を分けて論じることで、正印と雅印の役割が際立つと思います。
<最後に>
一部の特殊な人々のみに依存することなく、真の印章の美しさを知らせる手段として、さらに印章業界が落款印の普及を図るべきであります。
posted: 2014年 4月 27日