第17章 印章の観察法・・・その7

(12)印章の常識

●名人の作品・・・自分の印章を偽造されないようにと、輪郭に故意に傷や打撃を加える人がいます。こういう人は、病を背負い、晩年殊に不幸を感ぜられます。

良き印章には、必ず気品と生気があります。それは偽造品では生まれない物です。

偽造を恐れるなら、名人大家の作品を求め、所持することです。

 

●首掛けの印は一つ・・・実印から銀行印、挙句の果てには宅配便の受け取り印まで、印章一つ(一顆)でまかなう人がいます。

ふきん、タオル、雑巾とは、同じ布製品ですが、用途の違うものです。似て非なるものとは、このことです。

これらを万事一つで兼用される人は、収入の割にゆとりがない生活で、蓄財できない一生を過ごすこととなります。

 

●印章開眼・・・印章は一握の小片でありますが、先祖からの姓と自己の名を刻する、信を示す宝器である。

使用を始めるにあたっては、先祖の霊に報告し、その名を辱めることのないよう、隆昌を祈念することを忘れてはいけない。

 

●印章の清掃・・・如何なる名作であっても、その印章が汚れたり朱肉が詰まっていたのでは駄作に等しい印影しか得られません。

名刀も手入れを怠れば、良く磨いた鈍刀に劣ることとなります。

月一回報恩感謝の願いを込めて清く拭い、大切に愛用すれば、印章の徳は無限となります。

●実印は無用の長物・・・実印は、借金か保証人になる時に必要だから、自分には不用だという人がいます。

それは下賤な見方であり、現在の社会機構では、実印のない人間には信憑を認めず、法律的な発言権もありません。

社会人になれば、本人の名を刻した実印を用意するべきであります。

 

●朱肉・・・優秀な朱肉に丁寧な押捺をえて、はじめて美しい印影を得ることが出来ます。

最高級の朱肉は夏冬不変で長年使用できるので結局得であります。

粗悪品は印章を損じたり、直ぐに使用に耐えなくなります。

スポンジの朱液を補充する朱肉以外に高級練朱肉を常備することをお勧めいたします。

 

●財運・・・財政面の運勢であります。

資産やお金があるからと言って、それが幸せにつながるものではありませんが、なくては不幸を喚起します。

ある程度の金銭により衣食住も足り、礼節を生じ、家庭も調います。

印章で一番よく分かるのは、財運の有無です。

豊潤な15ミリ丸の生活力にあふれた美しい印章の持ち主は、一様に資産ある紳士であります。

汚れた印、欠けた印、醜い文字や誤字の印、凶兆の印では、福の神も逃げ出すことでしょう。

精神を物質化したものこそ実用の印章であり、自ずと財運も表現します。

 

●印章を貸すな・・・金は貸しても印章は貸すなと言われます。

実際借金の断りは言いやすいが、請判を頼まれると、近親の場合などは案外手軽に貸してしまうものです。これが失敗の基であります。

対手を怒らせず、不快を与えず、ニコニコと円満裡に請判を断れるようになれば、その人は福徳備わった人と言い得ます。

●風采より印章・・・堂々たる風采の紳士であっても、印章が粗末で、捺印時にポケットより取り出し、印鑑ケース付属の口径の小さな朱肉に叩きつけるようにして、捺印時も上下を確かめることなく、只力任せに押捺する・・・そのような紳士ぶる人は、信用してはいけません。必ず迷惑を生じます。

一見して不真面目な感じのする印章を持つ人は、生活態度も不真面目です。

不正、詐欺、違約、背信等の行為が多くみられます。

●印章の大小・・・実印は15ミリ丸、銀行印は15ミリ丸~13,5ミリ丸、認印は12ミリ丸~10,5ミリ丸。

これより大きい印章を好む人は誇張を象し、小さいものを好む人は器局小さく病弱であります。

●那依法・・・よりたすける意味です。

漢字は千姿万態で同一の区画に割り当てると却って疎密不同になります。

輪郭の中は一家と同じく俯仰正則、混然融和して情意が生じるものですが、那依法を知らない刻者が彫刻したものは、活字のように整然と配字して、生気のない萎縮した凡作に終わります。

文字の大小不同を感じる印章は、支離滅裂の凶兆とされています。

●神社仏閣の印・・・八十八か所、三十三か所と朱印を押してまわる人は多くいます。FBにおいてもその御朱印をみることがありますが、「御判料」を奉納させる割に品位のない、汚い印影が多いことに驚かされます。中には、明らかにゴム印というものも見受けられ、ありがたみを感じることからは程得あるのが現状でしょう。

また、書画の落款や書籍の奥付の印も見苦しい物が多い。

日本の印章の貧弱さを見ると同時に、印章文化とこと叫ぶには業界内から猛省し、技術と見識を挙げることから始めないと、後世に汚点を残すこととなります。

東洋美術の粋たる印章が児戯に等しい低調さを何とかしなければ、恥さらしであります。

崇高恭敬、心を洗い清める聖なる印章、信仰の対象になり得る高度な印章でなければなりません。

 

posted: 2014年 5月 8日

第17章 印章の観察法・・・その6

(10)上中下の観察

<人間の顔に相当>

(8)弱点を見る(方位)で述べたものを上、中、下の位置で見る方法です。

印面を人の顔に当てはめたもので、人相と合致します。

方位とともに上中下の見方は末節に相当するので、あくまで総合判断の補助的役割を務めるに過ぎない統計的観察法です。

これを主として印章を鑑定したりするものでは、断じてありません。

そのようにすると印章の観察法を誤ります。

しかし、知っておく必要も大いにありです。

輪郭が欠けている場合は、この観察法の確率は高く、欠落の印章は、凶中の凶です。

丸や角を三分割して、上から上、中、下とします。

上部に問題があるものは、成功、知力、情操、初年運、道徳に問題が発生します。

中部・・・意志、自我、希望、防衛、自尊、中年運。

下部・・・愛情、居住、家庭、子孫、晩年運。

上部の悪い問題がある印章。欠落、磨滅、印刀痕、凹(くぼみ)。

それを用いる人は、いくら焦っても成功、栄達は望めず、また現在の地位も危ない。情操が無くて人に嫌われ、自己中心的で、思いやりがない。

捺印の印影部分が薄い時は、思索力欠如、愚鈍、不誠意とみられる。

このように中部、下部と当てはめて考えていくと参考になります。

(11)避けるべき凶印・・・その1

良き印章を持つ人は自らその印章を愛し、丁寧に扱い、退社にも誠意を感じさせます。

悪い印章(凶印)を持つ人は、印章を軽んじ、乱用し、遂には失敗します。

これから例に挙げる印章は、巷において既に悪評高き凶印であります。

ご自分の印章を振り返る機会としてください。

 

●下剋上の印・・・親の印章をそのまま使用したり、また印面(親の苦労の後)を削り落とし、新たに彫刻するという改刻をしたりしたもの、知人よりもらった印を改刻したもの、妻の印が夫の印章より大きなもの、あるいは印材がすぐれているもの、これは上を剋し、ためには事業が伸びず一家窮乏する。

●偏頗の印・・・輪郭に対して、上下左右の空きが均衡していなければ、文字はどちらかに偏って見えます。所謂、章法の基本であります。

上部が空きすぎると、下の方に押しつけられて感じます。こういう印章は、因循で一生うだつが上がりません。

反対に上に文字が偏り、下方が淋しいものは、調子に乗ってから騒ぎをする人であります。金儲けに汲々として一生が終わります。

●小判型の印・・・重要印章に小判型は避けるべきであります。

銀行印、実印、小切手に小判型の印章を用いている人は、財運に恵まれない徒労の象と言われています。

また、4分丸(12ミリ丸)以下の小さな印も男子の重要印には用いない方が賢明であります。

●接点が凶数の印・・・接点とは、輪郭に字の肩とか脚が接触している数の事を言います。

肩や脚が一点で接触していることを言い、肩が削られ2度にわたり輪郭に接していたり、文字の脚と脚とが一つに重なっているところを1点、もしくは2点とかぞえることは、接点法外の邪道であり、霊動との関係がなくなるどころか、文字として成立しない章法であります。

この純粋な文字肩1点、文字脚1点と数える接点法では、1は吉(木性)、2は凶(木性)3は吉(火性)・・・・というように、その人の五行に合わせて構成の一要素とするものです。

大体、2,4,9,10の接点のものは凶印として避けるべきであります。

また実印の姓名印で、20を超える接点のものは化け物印、怪物印で、空間美のない、局促(せせこましい)なものです。朱肉が空間をつぶしてしまう実に醜悪なる印相体であります。

 

いままでお話ししてきた印章は、避けるべき凶印であります。

印章の正道は、財運ある印章です。その想いや希薄なきものは個人の所有物ではなく博物館行の骨董品であります。

恒産のないところに恒心はなく、境遇に支配されない人はいません。

財運のあるところに成功も幸福も随伴するものです。

凶印とは、底抜けの財布のようなもので、豊厚にして気品ある印章こそ成功の要素であります。

 

●角型印・・・実印、認印、銀行印には角型は不向きであります。圭角を表し、人と争い、努力しても大成しない不遇の印であります。人の言を用いず事故を過信し焦慮の一生を終える。

 

●二十輪郭(子持ち輪)の印・・・二重の枠をまいたものであります。角丸ともに発展せず、萎縮した運命を表す、活動力を限定される。

 

●省略の印・・・頭字のみを彫ったもの。たとえば、豊臣秀吉を「豊秀」とか「豊秀之印」と彫刻するやり方であります。市区町村の役所では、これをOKとするところがありますが、要を捨てて閑を採るの愚策で、その強情は周囲に良き人を得ず、失脚の印章です。

 

●先継ぎの印・・・昔は象牙の印面で根元を水牛で継いだものですが、最近は加工材の樹脂や木材の圧縮材もみられます。

これは、事を為さんとしても必ず中途で挫折する。満期を目的とする預貯金では、この印章できちんと最後までかけ続け、完納したものはいないとされています。砂上に楼閣を築くに似た所業を繰り返すこととなります。

●水晶印(貴石印と言われているものも一部含む)

・・・嘗て、偽造が出来ないとか美しいという理由で、案外多くの人が持っています。最近のスピリチュアルブームで、パワーストーンと言う名称で取りざたされるようになりました。

しかし、従来の鏨(たがね)彫刻法で彫る人がいなくなり、サンドブラストやレーザーでの彫刻となり、本来の技術的彫刻は無理に等しく、賢人はもたないものです。

捺印状態も印影が不鮮明で、却って偽造を容易にし、欠けやすく重要印にふむきであります。欠けにくいものもありますが、それは純粋な水晶ではなく、印材としての加工を施されたものです。

水晶を好む人は病弱だと従来より言われ、その性格は剃刀の如く鋭利ですが極めて脆弱であります。

●水晶角印・・・金融業者の間で水晶角印は契約をするなと言われるほど、没落決定版の印章と恐れられています。

家族にも病人特に肺、助膜系統が出、風波が絶えない。鏨彫りの良刻とされるものでも、末路衰退に向かう。君子危きに近寄らずが正解。

●局促の印・・・せせこましい印章はゆとりのなさを表し、我利第一主義で不和と争いの印章であります。

これの最たるは、印相体と呼ばれる怪物印です。

posted: 2014年 5月 7日

第17章 印章の観察法・・・その5

(8)弱点を見る(方位)

<見方の熟達>

丸、角全てにおいて八方向の方位に分類し印影を観察する方法であります。

これは幾万の印影と藤本胤法先生の貴重な体験を広範な資料によって得たものです。これも統計的観察法ですので占いではありません。

印影の悪い箇所     印章の悪い箇所

●欠けた箇所      ●印刀の傷の箇所

●印肉の淡い箇所    ●磨滅の箇所

●印肉の濃すぎる場所  ●凹んだ箇所

●不鮮明な箇所     ●汚損した箇所

●誤字の箇所      ●損傷の箇所

●稀密不調和の箇所   ●刻技の拙劣と見る所

●不同の箇所

それらの悪い所を次に当てはめる

■天位の凶象・・・経済的に恵まれず、精神的、肉体的に疲れ努力するとも。良い結果は得られない。

■地位の凶象・・・家庭的に悩みを持ち、生活不安定、また愛情面に乏しく、孤立無援の象。

■右位の凶象・・・傲慢で人を尊敬することをしらず、行動的ではあるが、思慮に乏しく、波乱の境遇に陥る。

■左位の凶象・・・人と論争を好み、円満を欠く。享楽に溺れ身を誤り、財とは縁がない。

■艮位の凶象・・・卑屈、短慮、肺、脚気、公徳心欠如、母系に縁薄し、薄命。■乾位の凶象・・・信仰心なし、不倫、転落、移動、分裂。

■巽位の凶象・・・親子の縁薄し、狡猾、家を失う、孤立、気管支系の疾病多し。

■坤位の凶象・・・吝嗇、生活力なし、胃潰瘍、不貞、焦燥。

(9)気品を尊ぶ

<多く名作を見る>

印章は気品を第一に尊びます。

印章は手先で彫るものではなく、全人格をもって彫るものであります。

気品は、その刻者の人格を表しております。

気品と技巧の巧拙とは別物でありますが、印章を深く知り、篆源を究めて刀を執れば、刀下の巧拙は論ぜずとされ、その構想、気魄等によって自然と古樸典雅の風を備えるものであります。

気品について詳述するのは解釈が容易ではありませんので、初心者の観察法としては、出来うる限り多くの良印、佳印を鑑賞して、目を肥やすようにすることが一番であります。

その時の目安を挙げておきます。

●調和の良いこと・・・和やかでゆったりしていること。

●美しいこと・・・気持ちの良いかんじがする。

●生気あること・・・枯れた感じのするものはダメ。

●香気あること・・・芸術的な感覚のもの。

●上品なこと・・・気位の高いものほど良い。

堂々と人を圧するような印章もあるし、豊潤な感じのものもある。

また一見貧相と思える凶印もあり、みな人の顔に似ていたりもします。

新聞広告や雑誌の広告だ長い間、印鑑販売の座を占めていたのがいわゆる印相印や開運印と呼ばれる、印相書体(本来書体ではない)の醜い印章であります。

それを長く見ていて、これが印鑑だ!このどっしりとした太い文字であれば、隙間がなく、お金も逃げないであろうと思いこみ、摺り込みをされてきています。

しかし、上記基準のなかに入るわけもなく、最近では篆書を輪郭にベッタリと接触させ文字を太くした八方についているので、八方篆書体と印相書体の上にマスクをしたようなものまで出現してきています。

これは、もはや広告媒体が変わり、インターネットの世界のネットショップのおすすめ書体は殆どこれです。

この印相体のどこに真善美が存在するでしょうか。

私の経験でも、芸術、美術、デザイン関連のお仕事をされている方に問うと、大方の人が「美とは縁遠い」と答えられます。

ではなぜ「これが印鑑だ!」になるのでしょうか?上記関連のお仕事の方も印鑑には美を求めるものなく、丸に太い文様がのた打ち回っているものがハンコだ!と思っていたとおっしゃります。

思い込みは摺りこみにより作られてきたということです。

本来、印面に興味を持ち、ことにふれてその鑑賞を続けると、その辺が次第に分かってきます。

技巧を越えてにじみ出る気品は、印章に接した第一印象による直感により断ずることが出来るようになってきます。

 

posted: 2014年 5月 7日

第17章 印章の観察法・・・その4

この観察法は、何度も繰り返しますが、あくまでも観察法です。

いわゆる統計としての一考察ですが、占いによるものではありません。

ただ、まじめにお客様との接客をされていきた技術をお持ちのハンコ屋さんなら、言い方はおかしいかもわかりませんが、当たっているとか、こんなもん販売もしたくないと思われた材質、書体については、不思議なぐらいその合理性を発見されておられるでしょうし、消費者の皆様は、是非この機会に自らの印章を見直して頂きたいと思います。

(6)性格を見透す

<第一に気品>

人格、教養、運勢をその人の印章によって識別出来得るというと、信じない人もあるでしょうが、その人の顔面を観察する以上に、よく表れているものです。

そのための観察眼は、第一に気品です。

気品ある印章に、誤字の集合体である印相書体の印章がどうしてなり得ましょうか!

第二に字体、第三に品式(丸、角)とこの三面から簡単な鑑別を試みることができます。

その一例を別ページに示すと同時に再度、怪物印(印相書体)の虚構もアップしておきます。

7)捺印は運命を表す

<印影の美醜・・・その1>

如何に名工、名人の手に掛かった名印が誕生しても、乱雑な捺印をしては立派な印影を得ることが出来ません。

上に強く力を入れて下部が薄く消えているときは、輪郭の欠落したものと同様に、不安、不和の印章に等しくなります。

これも、一部を見て全局を窺がうので、必ずしも的中確実ではありませんが、観察が容易で、然も確率の高いものです。

●薄い印肉を用いて力任せに押す人は、財政面の危機近しと観る。人に恵与するところがない。

●濃すぎてベタベタの印肉を用いて力一杯捺す人は、近く事の収拾がつかぬ事件が起こると観る。食欲と色欲にて敗る。

●印肉の詰まった印章を濃く捺す人は野蛮であり、地位の変動が激しく、晩年悲惨である。節操がない。

●印肉の詰まった印章を薄く力弱く捺す人は吝嗇で情愛を解さず、金払いの悪い、我儘な人である。

●上部のつかぬ押し方は、永く同一の事業、または職場にあることなく流転する。あるいは失脚の象である。

●下部がつかぬ押し方は、浪費冗費が多くて生活の安定がなく、強気に見えるが自制心のない人である。

●右に力強く捺す人は、依頼心強く嘘をつく。約束を守らない。虚栄。

●左に力強く捺す人は、自己の力を頼りすぎて失敗する。慌て者である。

●右に歪んで捺す人は、捺印の事項を違約することが多い。気取り屋である。

●左に歪んで捺す人は、衰運をたどる人である。論争の象である。

●俗に言うジリ貧になってきている人は、斑(まだら)のある印肉のつけ方で、左に歪めて捺す。財産のできぬ人である。

●印面に埃がついたまま捺すと、その一か所が付着しなかったり、埃がそのまま付いたりする。これは失敗の象である。

●正確に印肉も適度に平均に捺印する人は、心の落ち着きがあり、誠意あり、向上の途上にある人である。

●印章を叩きつけるように捺印する人は、慈悲心がなく平気で食言、言葉と行為を違える人である。飼い主をかむ狂犬にも似ている。

●力強く押しつけながら、まっすぐに捺印できない人は必ず貧相下賤である。

●捺印の際に手元が狂い、二重に押捺するのは不安動揺の象であるり、この際は必ず翌日に改めて押捺すべきである。

●印面に息を吹きかけて捺す人は、窮乏の生活を表し人の上には立てない。

●印章を押捺の後、印面と側面を拭う習慣のある人は生涯生活に困らない。

●印章に軽く一礼して捺す人があるが、この場合正確に押せる人は長者の風格があるが、それが不正確な押し方であれば俗臭芬々、表裏ある性格の人である。

●印章を袂や外ポケットから出す人は財運が逃げ出す。賤しい心性の人である。

●印章を大切に取り扱う人が栄えるのは当然であるが、欠けた印章を大切にしているのは病を得て末路まことに悲運である。

●会社印の上部濃く下品に押捺するのは内紛を表し、下部の濃いのは経営不振と観る。

●名刺を紹介上に代えるとき、その姓名の下に押捺する印章を正確に捺す人は有徳の人である。これはなかなか少ないものである。

●人に自己の印章を押させる人は、必ず大失敗するか病弱である。

●印肉に印章を突っ込むようにする人は下層生活者である。

●印章に愛着がない人は、よい捺印が出来ない。したがって幸運を取り逃がすこと多く不遇の生涯に終わる。

 

重大な捺印になるほど、微妙な精神の明暗が印影に反映されるものです。

一瞬の捺印が、その人の運命に反響して、一身の盛衰を司り重大な岐路となる場合が多くあります。

印影を美しく残し、印章そのものを大切に守ろうとするには、必ず朱肉の吟味を充分おこない、スポンジ朱肉や粗悪品のベタベタしたものや、反対にカサカサに乾ききったものを使用してはならない。

印章と共に印肉も愛しいたわることが肝心であります。

一事に周知な配慮と細心の愛情のある時、印章における不慮の事故はなくなり、全生活の潤いが保たれることでしょう。

posted: 2014年 5月 6日

第17章 印章の観察法・・・その3

(4)誤字の印章

<篆書を知らぬ>

美文字というのが流行っています。

これは、楷書です。

楷書の筆画については、書き順や一字一画の間違いも許されませんし、みなさま良くご存知です。

楷書の認印やゴム印(これは、明朝体でも)は、誤りがあると簡単に指摘できますので、印判業者も校正に念がありません。

ところが、実印、銀行印や法人実印になると、一応誰でも重厚な字体を注文されます。

これに対して、業者はパソコンソフトに依存していて、それが誤字であるかどうか、業者自体もわからないという有様です。

活字への変な信頼があり、そのソフトが、主には篆書や印相とよばれるソフトの中には、平気で俗篆書や明確な誤字があります。

誤字と言う概念が難しいのは理解できます。

ある実力派の先生が、何かの講座で、「社」字の「土」部を「之」字の篆書のような形を使用することを、「誤字ではないが使わない方が良い」という回答をされていました。

「誤字ではないが」とするのは、蛇足であり、印章業者、ましてそれを彫刻する職人が使用してはいけない形であります。

なぜ、敢えてその形を使用するのでしょうか。

それは、印相体にしやすく、輪郭に引っ付けやすいからでしょう。

我々職人は、学者ではないのだから、誤解されるような字体に対して回答めいた答えを出す必要はありません。誤解を生むような形は「誤字」と判断されるべきです。そうしないと。規範なく何をしても良いとなるので、ダメなものはダメと何故言えないのでしょうか。

藤本胤峯先生は著書の中で次のようにお話しされています。

「印章には小篆、または印篆を用いるべきあり、篆書を知らずに篆書に似せて意匠化された俗篆は、篆法からみると全て誤字と言って言い過ぎにはならない。」

もう一例をあげておくと、支店長の「支」が「丈」となっている印章が実に多く見受けられます。これは、時折技能検定の学科試験にも出される、基本中の基本です。

印章業者の中には、前述のように、篆書の誤りに無頓着な人がいて、誤りを指摘しても改めようとはせずに、反対巧みに正当化してしまう。

その理由は・・・先代が使用していた由緒あるも文字なので、間違っているはずがない。とか最近では、高額なパソコンソフトの文字であるので、活字として信用している。というモノであります。

先代の例は経験があります。

先代よりの人扁が誤字であると指摘、正しい人扁をしめしても、それが誤字であると反論されました。

篆書については、一般的に寛大であるので、印章業者は不勉強となり、それが俗篆の発生源となっています。

印章文字として篆書がある所以は、この文字が印章として美を発揮するから、なお今日も使用されているのです。

これが、誤字となり俗篆となっては醜悪そのものであります。

誤字の印章の害は、文字が間違い、その姓名が不正であるということと共に、その刻技は必ず無味乾燥な品位のない駄作印でしかあり得ない。

(5)欠けた印章

<人格の欠如>

磨滅欠損した印章は、勿論法的にも不成立ですが、人体にとって五体の一部を欠いたと同様もとより悪印であります。

自己の人格の象徴ともいうべき印章が滅欠損しているのを、そのまま平気で使用している者は、人格そのものの滅失、欠如しているとみられても仕方がありません。

実際上も、こうした印章を用いている者には、疾病、損失を不知不識の間に招いている人が多いとみられる。

尚、安価粗末な印章はその材質も悪く、機会での打撃によるとこらからの欠損が激しいということも付け加えさせて頂きます。

新調の際には、できるだけ良材を選び、それなりの刻者に託すことが、度々の改印を避けることのできる道であります。

<自ら災禍を招く者>

印章を自らすすんで欠損させ、災禍を招いている愚かしい人々の群れがあると聞き及びます。

それは新調した印章を自分の手で、一部分を磨滅あるいは欠損し、以て偽造を防止せんとする手段でありますが、なかにはハンコ屋さんから持ち帰ると直ちにこれをする人もあります。

思うにハンコ屋を信用できない(少しはわかりますが)病的に猜疑心の強い性格の持ち主であり、小心翼々、如何なる人も信用できず、遂には自己そのものも信じることが出来ない悲惨な運命に陥る人であります。

災害は人としてこれを察知できない不測のものもありますが、多くは自ら種をまいて災害を招来することがあまりにも多いことを我々は自戒せねばなりません。

なお、輪郭の欠けた印章は役所の窓口でも改印を要求されます。

言い換えれば、自己の人格、信念を役所でも認めてもらえぬのと同様であります。

posted: 2014年 5月 6日

第17章 印章の観察法・・・その2

(2)印章と人相

<心と形とは一致>

人は四十にして自らの顔つきに責任を持てと言います。

そのように人の顔は精神や魂の物質化であると言えます。

人間の顔も印章も大体3つの形に分類することが出来ます。

一、円形の印・・・肉づきよく丸みを帯びた栄養質。

一、角型の印・・・筋骨逞しく活動的形貌の筋骨質。

一、楕円形の印・・容姿温雅で、神経素質に富む瓜実型の心性質。

右の3つの形態の性格が各々その好むところの型を選ぶのは、心理学の形態比例で明らかであります。

●円形印の性格(栄養質)

愛想がよい。愛情がある。物事をあまり気にしない。生活に対してゆとりのある態度である。運動、遊楽を好む。気が変わりやすい。落ち着きがある。朗らかである。人にのせられる。目が柔和である。決断力に乏しい。遅鈍等々。

●角型印の性格(筋骨質)

精力的である。活動家である。努力する。人に負けない。闘争心が強い。我を張る。所謂男性的である。健康を過信し却ってよく病気になる。強情。不和。尊大。浮沈。衆望がない。

●楕円形印の性格(心性質)

多情多感の神経質である。優美である。美を愛する。感覚が鋭い。情を愛する。空想する。静寂を好む。気力に乏しい。健康に自信がない。注意力周密、因循姑息、柔弱。

これは単に外形のみによって表したことでありますが、円形印は順調。角型印

は波乱。楕円型印は不遇の象であります。

(3)積極と消極

<印章の実際>

字法、章法、刀法という印章の三法を論ずることなしに、ただ形だけで角印は貧乏印であるという観念が普及し、昭和から平成にかけては、丸型印が当たり前の状態であります。

 

丸型印の彫り方には二つの型があります。

A一つは輪郭が太く、中の文字が細いもの・・・中輪の細字型

Bもう一つは、輪郭が極細で中の文字が太いもの・・・細輪の中字型

 

共に円の中を四等分して、疎密の法も考えずに、活字を植え付けるように割り付けして篆書に似せたものを彫りますと、俗篆珍篆が出現し、無気力な俗印が誕生します。

 

Aの中輪の細字型を好む人は、実力以内で仕事をする。視野が狭い。意志の弱い知識人です。誤字があると全く一生焦るばかりで浮かばれない者が多い。小さな事に拘泥して、くよくよ無駄な神経を使う人です。この形式で、中の文字がたとえ優美に彫られていても財運は確保しがたい、いわゆる労多くして効少ない人生です。

 

Bの細輪の中字型を好む人は、発展性はあるが、自己を過信して事を誤る。実力以上に伸びんとして苦労する。資金に困窮し、人に損をさせられるタイプである。この型で、中の字が生気溢れる印章であれば良印で、財運を伴う。

 

<小判型印の観察法>

A、小判型で、輪郭が細く中の文字が太いものを好む人

明朗性はあるが闘志満々で、自らの実力や地位を考えずに軽挙して悔いを残す。知力はあるが資力に乏しい。扇動されて失敗する。誹謗を招く。外に良く内に悪し。字法等優秀な作にしても楕円型は積極性に乏しい。

 

B、小判型で、輪郭が太く中の文字が細いものを好む人

保守型である。物事が万事思うようにならないので、いつも不平不満を言う人である。気力に乏しく、財運に恵まれず偏狭である。先見の明がない。決断力が鈍い。人の誤解を受ける。この型で字法、刀法が拙ければ生涯忍苦と屈辱の浮かび上がれぬ凶となる。

 

先の丸型印も含め、この二等分の刻法での俗篆体は、狡猾で、私利を計るに汲々としている個性のない貧相であります。

幸福な徳望ある堂々たる風格を偲ぶ縁(よすが)もない。

また、これを斜めに配字(レイアウト)したものは、阿喩迎合を恥じとしない卑屈の性情を表し、物質的にゆとりのない凶をしめす。

<無為無策の印章>

物には、比率の美ということがあります。

洗練された美の比率の代表的なものに、黄金比があります。

日本の絵画や日常品の美もこのことを知らずして、自然とそれに近いものとなっています。

 

印章の輪郭と文字との太さやレイアウトの比率も一般的な比率を自然と生じ、その比率の法則にかなっていれば美しく感ぜられます。

輪郭が太く、中文字が細い丸印の場合、輪郭線の約二分の一ぐらいの比率が美しく見えます。

しかし、それも輪郭線があまりにも太いものを二分の一にしたのでは、滑稽な印章になります。そういう印章を良く見ます。

輪郭のみが太く中文字がバランス悪く、しかも俗篆でレイアウトされた印章・・・これは自我、陰険を表します。自衛機能発達の象であります。家庭運が悪く病弱であります。

また、輪郭と中文字の太さ比率は良いのであるが、中文字が篆書をむやみやたらに折り曲げたもの、いわゆる俗篆のもの…この印を持つ者、資産に恵まれず才気もあるが意志弱く、耐久性に乏しい。物事にくよくよして大成しない。腫物のようなと言いたいほど、事業、地位が大きくなれば、きっと潰れる。こせこせした気持ちの人が好む。努力律儀は買うが一定の範囲に限られ進展しません。

朱文不逼体というものがあります。輪郭を太めにし、中文字を細くするその比率が良いといしても、中文字が大変小さく間がありすぎる印・・・器局狭小小心翼々の人に好まれる。

 

上記三種の印には、よく俗篆が用いられます。

俗篆とは、篆法を真似て篆書らしくした通俗的な篆書である。

俗篆は気品なく生気なく、悉く萎縮した凡作となっています。

尚、俗篆には非常に誤字が多い、これは一般消費者にその正誤を見分けることが出来ないので、平気で使用し、パソコンソフトになって販売されているものの中には平気でこれを使用しているという有様です。

不測の災いで失脚した人の印によく誤字の印章を見うけます。

誤字を知らずに一生使えばその損失はいかほどのものとなるでしょう。

あなたの印章が俗篆あるか、一応の正誤を検討して頂きたい。

誤字の印章は、突発的災難と思わぬ嘲笑を受けることとなります。

次は、この誤字の印章について観察していきます。

 

posted: 2014年 5月 5日

第17章 印章の観察法・・・その1

第17章 印章の観察法

(1)印章は性格を語る

<印章の良さ>

この「印章講座」で、あらゆる面から印章を検討してきました。

印章学・法律と印章・文字学・印章史etc・・・

それは印章の良さ、素晴らしさとその深さを皆様に知って頂こうと考えたからであります。

一生の道づれの印章を大切にするのと軽んじることが、破産と致富の分かれ道となります。

嘗て印章は、その捺印回数が多く、空気や水の恩恵と同様忘れがちになるものでした。

しかし今日では、役所の押印廃止に始まり、銀行印の不要なネット銀行やお初めには必要だが、あとはキャッシュカードで印章不要となり、どこに印章をしまったのかさえ分からないという、空気や水と言うより、不要物のように扱われ、その意義や役割を忘れてしまいがちであります。

使用しなければそうなることは必須です。

そしてついには、実印などいらない、印鑑登録は合理性に欠けるという首長まで現れるという始末であります。

ところが、現在の法は印鑑を唯一無二の信を示すものとしてみていますので、いざ事故が起こると、捺した捺さないという大騒ぎになるという顛末であります。

また、不用の押印で、再起不能の致命傷を受けた人が如何に多いかを考えると、普段より印章を大切にするという習慣を身に着けていくことが大切であります。

<印章で性格と運命を知る>

これは印相屋がよくするヤマカケや脅しではなく、極めて常識的な判断法であります。

却って不満のお声もあるかもわかりませんが、ここでは主として、性格と財運の推察をする法についてお話しします。

印章の判断法は、勿論絶対でなく確率論であることは否めません。

しかし、この率は大変高く科学的絶対論に近づくものであります。

人の足元を見ると人間観察法は教えます。

観脚下は平凡でありますが、実によく人柄を窺がえるものがあります。

履物の好みが上品か下品か、高級ものか安物か、手入れが出来ているか悪いか、身分と人柄、年齢が大体わかります。

こんどは、その踵(かかと)を見ると、その減り方で心のゆとりのある人か、性急で慌て者かがわかることは、周知のことです。

きちんと掃除がなされ、打ち水の行き届いた玄関に、上品で美しい履物が整然と並べられているのは、見るも清々しく、その家の主人とその来客の品の良さを表しています。

もしこの玄関に、汚れた履物が乱雑に脱ぎ捨てられてあっては、その人が軽蔑されるだけではなく、その一足のために、玄関の風情も邸宅の品位も台無しになってしまいます。

ここで、玄関と邸宅を文書に、履物を印章に置き換えて考えることもできます。

重要書類に三文判を叩きつけて捺す醜態は、あらゆる角度から考察して興味あるものです。

印章は首とかけ替えで、その人の信を示すものです。

気付かずに用いても、その人の様々な様子が窺がえます。

特に押捺とを併せて観るとき、印章の持つ威力に神秘を感ぜずにはいられません。

捺印法を無視した印影は、無礼の表示です。

信を示す為に押したものでも、これは不信であると観破ることもできます。

印章を取り出す時の態度印章を扱う手付きも見逃せません。

印の霊動はあり得ますし、これからの時代に益々それが問われることとなるでしょう。

しかしそれには自らの限界があります。

印章の徳により起死回生の現象が結果的には起こると言えども、焦眉の急を救う注射の代用にはなりません。

印章は形の徳の累積が表わす善であります。

印章による性格と財運は語れても、家庭運の細部にまで及んだり、死期や病気回復を予言したりすることは出来ません。

しかし印章特有の観察法は、相当利用価値があるといえます。

商談一つにとっても、対手の顔色を読むことは必要です。

印章を通じて対手の性格と財力を量ることは、処世の妙手であります。

よく心得ておくときは、意外の収穫となろうと存じます。

観察の重点は、第一に印影より配文、字体により品格風格を観ることが大切であります。即ち、印面の文字の美とそのレイアウトであります。

次に扱い方、押捺の法です。

印材と寸法がこれに次ぎます。

最後は方位、上中下よりの観察法でありますが、これは印章学によるものではなく、補助的な推理方法としては、侮れないところがありますので、ご参考までにお話しします。

あらゆる事物の観察は、総合的な正確さを期するべきでありますが、印章もまた一面的な判断は慎まなければなりません。

 

 

posted: 2014年 5月 5日

< 1 2 3 4 5 >