技術を残すとは
神代の時代の教えである神々の約束事から神と人の契約である「おしで」という思想から、大陸から渡来した印章という具体物が人と人との約束や契約を円滑に動かしてきた日本という国。
それは、考え方のみでは人は約束を意識しないので、押捺という行為を持たせて、約束を意識させるために印章という道具に価値を与えたのです。
しかしながら、来年よりの押印機会の減少は、何をもたらすかは、上記の印章の在り方から安易に想像できることと思います。
印章を意識しない状態・・・どこかで印章を使用することにより、印章と朱肉を意識するのです。
それは、印章が必要かどうかということではなく、日常に使うという行為により意識されて行きます。
普段使わないものでも、それ相応の価値を感じるものもあります。
美術品や装飾品は普段から意識するものではなく、展覧会や博物館に行き鑑賞することにより、その美や価値を感じます。
これからの印章の生き方は、中身のないキャッチフレイズの大量の宣伝ではなく、印章の工芸的価値を前面に押し出していく事が必要かなと思います。
国も印章の技術の在り方を技能検定の分類として「工芸」として位置づけている所にも、その可能性を見出すことが出来るでしょう。
本日、国連教育科学文化機関の政府間委員会において、ユネスコ無形文化遺産のリストに付け加えられることになったのは「伝統建築工匠の技 木造建造物を受け継ぐための伝統技術」であります。
宮大工や左官職人らが古くから継承してきた17分野の技術の価値が世界的に認められたということであり、建築物その物の価値とは別に無形な技術が評価されたところに我々は大きな観点を見出さねばならない。
印章がリモートワークの邪魔者にされ、「脱ハンコ」という国策にされたことと、その後の対応から、印章自体の価値は低下していく事だろうと想像します。
しかしながら、印章を作製する技術や朱肉製造の技術は、やり方を変えていく事により生き残る事だろうと推測します。
中身のないキャッチフレーズで大量宣伝されている密なる印章とは、大いに距離を取るソーシャルディスタンスで臨む必要性があります。
大量生産に近い形で、手間暇をかけるという技術を置き去りにした商品とは無縁な別物としての発信が求められる時代が来ました。
先人からの技術の型を大切に学び、修練した職人のみが発せられる工芸としての印章、技術やデザイン分野での飛躍はあり得るだけの価値ある技術であると考えます。
「伝統建築工匠の技」は、宮大工や左官職人らが古くから継承してきた17分野の技術であります。
印章の技術も、他の伝統技術に学び、連帯を求めていく事により強化・発展の芽はありうることだと思います。
きちんとした技術には型があります。
型とは、単なるパターンではなく、応用の効くもので、本義を崩さずに他の伝統技術との共鳴は大いにあり得ることですし、日本の文化であります。
印章のみ文化だと叫んでも、誰も相手をしてくれない時代が到来します。
日本の文化と共に前進する必要を大いに感じる今日この頃です。
posted: 2020年 12月 19日