職人

或日あり或日ありつつ春を待つ

【作者】後藤夜半

 

春を待つ冷えた体を温めるために、湯船につかり疲れをいやしていると、ふと、「あれだけ嫌がっていた職人によくなったものだな」と誰かがささやいてくるような気がする。

私は印章店を営んでいますが、実家は祖父が福井から単身大阪に出向き、職工から独立して開業した印刷物加工業(断裁業)でした。

いわゆる、断ち屋の職人です。

子どもの頃、あさ、「行ってきます!」と大声で工場である家を出て行く時に、もう仕事の段取りをしていた祖父・・・祖父は頑固で父親よりも子どもの私にとっては存在感が大きい人でした。

高度経済成長の波に乗り、船場の糸へん景気で沸いた印刷物問屋街はとても忙しい日々でありました。

朝から晩まで、夜なべ仕事もあり、なりふり構わず、黙々と働いている姿がわたしにとっての職人の姿の記憶であります。

勤勉以外には、お酒が大好きで、休みの日には一升瓶を持って出かけるか、仕事仲間が来ての酒盛りであったように思います。

その匂いが大嫌いで、職人=酒臭い人、遠慮のない人と、一家総出の職人家業は職人のいやな面をかぶりながら生きてきたと言えます。

母親なぞは、計算が出来ないのが職人とよく嘆いていたのを覚えています。

働いている映像しかなく、働いても働いても、まだ仕事・・・。

そうはなりたくない、ネクタイを締めて、背広を着て仕事に出かけたいとず~っと思っていました。

印刷物加工業が印刷業の衰退とともに無くなっていき、実家があったあたりを印刷物問屋街であると知っている人も少なくなりました。

 

昨年来のコロナ発による「脱ハンコ」騒動で、繁忙期に向かうはずの印章業には、目下仕事が少ないようです。

大手のネットショップは大量の宣伝を打っておられますが、どうなのでしょう?

象牙の業者登録申請期限も迫ってきていますが、儲からない業者登録を何故しなければならないのかと、登録廃止を考えておられる同業が多いと聞いています。

認印を奪われた業界は、今後どうなるのかは、私にもよくわからないところですが、印章が氷河期に入ったことは確かで、今年は業界の在り方が大きく問われ、現実として方向を定めなければならない岐路に立たされていく事だろうと推察致します。

 

昨夜、NHKで養老先生を見ました。

その中で新潮の編集の方との会話で、コロナは人に多くの気づきや先生の仕事への題材をくれるというお話があり以下の文章をネット検索しました。

コピペにてお許しください。

「自分が日常を生きて行くときに排すべきなのは。本日のコロナによる死亡者何名という神様目線であろう。神様目線が生存に有効になるような社会を構築すべきではない。神様目線の対極は文学の目線であろう。我が国の文学は伝統的に花鳥風月を主題としてきた。当たり前だが、花鳥風月は人ではない。コロナが終わった後に国民の中に対人の仕事をするより対物の仕事をする傾向が育てばと願う。具体的には職人や一次産業従事者、あるいはいわゆる田舎暮らしである。そういうことが十分に可能であれば国=社会の将来は明るいと思う。対人のグローバリズムに問題は多いが、対物のグローバリズムに問題は少ない。自然科学は対物グローバリズムといってもいいであろう。物理法則は言語や文化の違いで変化しない。対人より対物で生きる方が幸せだと感じる人は多いと思う。」

【新潮社 新潮 [特集/特集・インタビュー] (哲学・思想)】

 

posted: 2021年 1月 30日