相対的公平

噴水の頂の水落ちてこず

【作者】長谷川櫂

 

先日シェアさせていただいた成願先生のちちぶ銘仙館での和柄鑑賞講座のなかで、碁石を例に、その黒い石が収縮色で、膨張色の白より大きく作られていて、見た目を同じにしているという相体的公平についてお話をされていました。

和のものづくりに欠かせないのが、この相対的公平で、数字で表現される絶対的公平ではないとしています。

能面づくりも白洲正子『能面』によると、左右非対称に打たれるのが当たり前の世界であります。

即ち、成願先生の言う相対的公平の世界観であり、絶対的公平など微塵も入らない世界観であります。

人間の顔は正面に向かって右が神佛の顔。左が人間の顔と言われております。この考え方が能面に取られております。正面右が「悟りの世界」、左が「迷いの世界」ということになります。つまり、2つの世界に存在する人間を、一面で表した事になります。

だからと言って、能面が大きく非対称には見た目では見えないのです。

定規で測ると非対称だが、美しく見える・・・これが相対的公平であり、日本的霊性を伴う、日本人の美意識であります。

その美意識も、西洋の絶対的公平の世界観が暮らしの中や教育に大きく入り込み、またパソコンやスマホの世界は絶対的公平の世界であり、それが日本人の美意識を歪めて来ています。

 

印章技術講習会の講習生も、文字のセンター(中心)を意識するのに、定規を使用したり、方眼紙のメモリを目安に考えるのは良いのですが、自分の相対的公平感覚を目で見て鍛えようとしません。

それは、見た目より数字に左右されるという意識に問題があるのです。

職人の仕事は、勿論この相対的公平に依拠して成り立っています。

ですから、その尺度も尺貫法を基準として用います。

尺貫法をメートルに直すと1尺では、10/33mとなります。10割る33で0.30303・・・・・・メートルとなりますので、メートル法に直すと割り切れません。

よって、1分(10厘)は10/3300メートルであり、3,030303mmとなります。

4分丸の認印は、12ミリと考えている人が多いと思いますが、本当は12,121212ミリであります。

ミリで割り切れない空間を持つのが尺貫法なのです。

メートル法の世界観から考えられない遊びの空間を有しているのです。

それでも目で見てピタリと落ち着く宮大工の工法をメートル法ですると大変な誤差が生じてしまうのです。

実印に配字された4文字の姓名が見た同じ大きさに綺麗にレイアウトされているのは、職人の経験から生まれた知恵の集積であります。

彫刻する一つひとつのお名前が違いますし、同じようにデーターを使いまわしてフォント化して彫刻してはいけないという職人道徳は、その修練から積み上げられてきたものです。

熟練した印章の職人は目を皿のようにして探せば、今、まだ少しはおられます。

5年後はどうでしょうか。

まだ探せばいますとは、断言できかねます。

10年後には・・・

コロナ禍により子どもの数が減っているとの報道が、先日の子どもの日にありました。

お子様やお孫様が生まれれば、銀行印ではなく、一生使用できる実印を早い目に、ここ5年の間に良き職人をさがして、作製されることをお勧めいたします。

職人的に見せかけたショップもございますのでご注意をして下さい。

職人の手仕事には手間暇がかかりますので、一日にたくさんのご注文があるのに、早くできますとか安くできますとかいうところは、おそらく手仕事ではありません。

幼少期には実印は必要ありませんが、銀行や郵便局への登録印や学資保険のハンコなどにご使用頂き、時期が来たら実印として役所に登録するように親として伝え、自分の命と実印の大切さ、自分を表現したり、証明したりすることの意味を伝えてあげて下さい。

それが日本的霊性を伝えること、日本の伝統を継承すること、印章文化を守る事に繋がります。

宜しくお願い申し上げます。

posted: 2021年 5月 7日