強い工芸的な意思・・・その2

マスクして我と汝でありしかな

【作者】高浜虚子

昨日、「強い工芸的な意思」という言葉を使いました。

技術を黙々と習っていた時には、あまり意識しなかったのですが、印章を製作して販売するということは、とても工芸的かなと思うようになりました。

コロナ禍がそう思わせたのか、印章を取り巻く環境の変化がそう思わせるようになったのか、それはどちらでもあろうと振り返ります。

ポイントは、製作して販売するというところなのです。

製作と販売、どちらが抜けても工芸的でなくなります。

製作や技術を延長して行けば、芸術に至ります。

販売のみを通せば、印章が売れなくなると、印章には文字を彫刻するので、文字ビジネスやそれに付随する加工ビジネスへと延伸してしまう。

印章という概念を大きく逸脱して、商業主義に陥ってしまうという事です。

最近の宣伝文句に「〇×伝統工芸印章」というキャッチコピーを見ました。

いじわるを言うようなのかも知れませんが、伝統工芸という側面もあり、同じ商品で「開運〇×印鑑」という側面もあるとするなら、何を売りたいのだろうと邪推してしまいます。

工芸的とは、売りたい内容、商品の内容が「真善美」に結びついているものであることと私は思います。

ある商品のいろんな側面から宣伝するのは、それはもう工芸ではないのでは・・・。

手を動かすことは、作業です。

工芸において、手が携わっている事はとても重要な事だと思います。

しかし、それだけではなく、一番肝心なことはどのような物を作るか・・・印章においては、何を彫るのかということです。

だから、手で彫っているという様子が工芸なのではなく、商品としてお客様より提示された名前や社名、団体名をどうすれば美しく健全に布字配文(レイアウト)できるのかを熟考することが、その過程が工芸的でなければならないということで、それが実用印章という工芸品にとって一番肝要なことです。

ですので、彫り方ではなく「工芸としての意志」を繋げていかないと印章は滅んでしまうのです。

おそらく我と汝は違うのでありましょう。

我と汝はマスクをして、訣別しなければならないのでありましょう。

 

posted: 2022年 1月 19日