印章は大量生産できません・・・だから唯一無二

尾の切れし凧のごとくに二月終ふ
【作者】有賀充惠

あっという間の二月でした。
一月に、ゴム印彫刻の技能検定を無事に終了させ、二月に入ると、テレビの収録から始まり、後はバタバタ・・・
インバウンドのイベント出展も新型コロナウイルスの伝染拡大の影響を受けて中止になり、静かになるかなと思いきや、お陰様で多くの仕事に囲まれています。
この土日も休みなく仕事量の調整です。
有難いことです。
印友は、実店舗には感染を怖がり来店が少ない反面、ネットショップへの対応に追われているらしい。スゴイな。
私の所は、そうでもなく実店舗への予約のお客様が来られます。
そうはいっても、一人の職人が出来る仕事には限界があります。
丁寧な仕事をすれば尚更です。
パソコン印章やフォント印章のネットショップが秒速での購買に繋がっているという案内を出しておられます。
それは、全て機械にお任せなのでわかりますが、中には丁寧な手仕上げと謳われているショップさんもあるようですが、秒速購買があり、大量生産するには、大勢の職人さんがいるはずです。
しかし、一級技能士どころか二級の名称も無いところは、誰がどのような手仕上げをされているのでしょうか?
技能検定二級の課題は、3時間半以内に、指定された9文字の篆書をバランス良く配置する印稿の作製と不揃いな荒彫りを仕上げる二本立てであります。
即ち、24ミリ角の手仕上げをする一連の作業が凝縮されています。
それをするのに3時間半です。
機械の彫刻時間を入れるとさらにかかります。
秒速販売の大量生産に対して、余程たくさんの二級技能士を雇わないと対応できません。
しかし、現実は技能検定の受検者が集まらない状況です。
おかしいと思いませんか?
技能士がいるということは、あくまでも最低の技術水準と唯一無二を製作するとうモラルがあるという証です。
繁忙期で忙しいのは、丁寧な仕事をしているお店かパソコン手仕上げ印章という不思議な大量生産をしているお店かということをよく吟味して、ご購入下さいますようにお願い申し上げます。
この文章にて、令和四年一月実施予定の技能検定に多くの受検者が集まりますように・・・。

posted: 2020年 2月 29日

技術継承者のいない印章業界

幸福の木に蕾ができて、ついに花が咲きました。
店を閉めようとして、ふと見ると咲いていました。
調べると、夜に咲くようです。
夜の花?


匂いがきつく、芳香剤のような匂いで、朝にシャッターを開けると強烈な匂いが残っています。
お店では、お香を焚いているのですが台無しです。
しかし、幸福の木なので何か良い事があると期待しております。

印章のオリジナル性というのは、絵や柄ではなく、印面に構成された文字の美しさです。
古代メソポタミアの円筒印章の多くは、楔形文字に加えて確かに絵や図柄であります。
それは、図柄が文字以上に伝達の意味を持っていたからであります。
現在の実用印章は、シルクロードを通り、中国の漢字文化を吸収し、正倉院に到着し、日本古来の「おしで」の思想と融合して今の姿に到達しております。
その美は、輪郭・・・とりわけ円の中にいかに篆書の姿を美しく配置できるかという構成法が、注目されて当然のはずであります。

そうはならずに、はんこ屋さんや印章のマーケットでは、書体見本と名の付くフォント見本が羅列され、印材の販売合戦が繰り広げられてきました。
お客様の印影を創造するのではなく、印材という棒を販売しているのです。
本当に大切な在り方が後ろ廻しにされ、公益的なる考え方であるはずの印章が邪魔にされ、価値を貶められてしまっている現状です。
技術の継承も、技能検定に真摯に取り組まない業界姿勢が技術への考え方を如実に示しています。

上記のきちんとした印章の在り方とその価値を示すための論拠である人・・・印章を「きちんと」製作出来る人がいなくなってきました。
市場は乱れ、継承者がいない業界に蕾はなく、もちろん花も咲かないことと、心悩ませています。
いくら印章文化と叫んでも、AIやコンピューターが作成するパソコン印章やフォント印章を其の旗頭にするのでしょうか。

芳香剤のような匂いが薄くなり、今朝ほど焚いたお香の匂いに包まれて印面に向かいます。

posted: 2020年 2月 27日

本物の継承は、マニュアルのみではできません

「軽く翼を水平に泳がせて 重たい荷物を運ぼう」
大阪の詩人・小野十三郎の詩句

ラジオを聞きながら仕事をしている時があります。
NHK関西ラジオワイドの中で、木津川計さんが、私を支えてきた言葉として紹介されていました。
戦争を賛美する詩歌や美文に作家は流され、人々はそれに感化されていきました。
小野十三郎 はそれを批判し、古ぼけた抒情に曇らされた眼では物事の実態を見抜くことはできないと主張したのです。 そんな時代に「大阪」という詩集を出版しました。その中の「明日」という詩です。
小野十三郎さんのお名前は知っておりましたが、その言葉は知らなかった。
重たい荷物が運べそうな、勇気がいただける言葉です。

話は変わりまして・・・今日の連続テレビ小説『スカーレット』の中から・・・
八郎のかつての弟子で、辞めさせられた腹いせに窃盗騒動を起こした2人が謝罪かたがた、喜美子に穴窯での作品作りを教えてもらいたいと懇願してきました。
武志は、企業秘密を教えるようなもんや、止めときと母の喜美子を制止しますが、喜美子は穴窯の中に二人を案内して、そのノウハウを惜しげもなく教えます。
この話を見ていると、商売人は企業秘密という言葉で囲んでしまい、職人は喜美子のように開放的かと思われますが、実際の職人の多くは、とても秘密主義です。
技術はなかなかオープンにしないものです。
ものすごく簡単なことでも、教えてやった式なところもあります。
喜美子のような人は、職人の中にはほぼいないと言っても過言ではなく、職人のいやらしさ丸出しの方が、如何に多く、そういう意味でも職人自らが技術に対して壁を作り、閉鎖的にしてきたかという事かも知れません。
私の周りの先生と呼ばれてきた人達の中にもおられますが、そういう意味では、私の場合、わりと可愛がっていただいた先生方に恵まれたのかもしれません。
はんこ職人は、お客も技術も囲い込む意識の強い人が多く、大変狭い世界観の持ち主が多いようです。
それを続けていると、継承者が減り、結局自分の技術も消滅していき、次世代どころか、周囲からも評価されなくなります。
本来、喜美子のように開放的にすべきです。
技術を開放的に教えても、それがそのまま伝わり模倣できるかというと、技術はそれほど甘くありません。
八郎さんが、武志に諭したように、たとえ穴窯のノウハウを教えても、喜美子が有している天分である造形力をそのまま模倣できることでもなく、喜美子が離婚してまでも、また火事を何回も起こしそうになりながら、模索してたどり着いた境地は、一度や二度の口伝で表現できるものではありません。
喜美子自身にしか出来ない物、本当の意味での唯一無二なのです。

posted: 2020年 2月 21日

フォント文字で作る印章は印章?・・・その2

最近、「フォント文字で作る印章は印章?」という疑問を投げかけていますが、こういう疑問を問わねばならなくなった背景に、印章業界の継承現場軽視があります。
フォント文字を使用して、それと連動している彫刻機で彫れば、何ら技術もいらなく、パソコンを作動させる能力のある人なら、印章や文字の専門知識を有せずに、印章(?)を作製、販売出来てしまう市場になってしまっています。
その為に、印章を彫刻する技術よりも、商売の経営論に長けた方や、ネットビジネスに詳しくなることが、業界の成功者という虚像を与えてきてしまいました。
これが、スローガン(写真)からは大きく隔たりのある現実の市場であります。


継承現場を重視し、きちんとしておけば、そういうことは軽傷で済んだのかも知れません。
また、デジタル化が進んできても、印章の社会的存在意義は大きくその唯一無二性を唱えられたのかもしれません。
今や遅く、後の祭りです。
印章職業訓練校の休校(廃校)
各地の技術講習会の形骸化
・・・
そうして今、技能検定が厚労省の統廃合検討会にかけられ、3年に一度の受検者を100名集めることのできない業界となってきています。
印章の唯一無二性が問われ、コンピューターやAIにそれを依拠しだしました。
コンピューターやAIに頼るなら、間の印章は不必要になるのは論理の必然性だと思いますが、回りくどい事をして自らの首を絞めています。
自らの首を絞められたものは、印章に深い想いはなく、ビジネス論を他に展開していき、生き延びれる輩です。
しかし、職人はそんな応用編は持っていないのが常であります。

再度しかし、本物は冬眠時代を経ても生き残るのです。
今は、戦国時代ではありませんが、刀鍛冶さんはおられます。
常に使用する器や花器ではありませんが、喜美子のような陶芸家の芸術作品は、陶芸技能士がいなくなっても生き残っています。
着物も普段着ないものですが、まだまだ本物は存在しています。
ただし、本物でなければなりません。
資格(一級印章彫刻技能士)であることや、技術の会、印章組合や何とか会に所属しているというだけでは、信頼と社会から価値ある存在としては認められないでしょう。
益々の精進と技術の研鑽が、一人ひとりの職人に求められます。
そういう時代に入りつつあります。
フォント使用の大量販売型のビジネスモデルに勝つ大きなチャンスとも言えます。
ピンチをチャンスに転換しましょう!
意識ある印章人のみなさん。

posted: 2020年 2月 8日

フォント文字の印章は印章?

二月商戦眉目秀麗のピエロ得て
【作者】ねじめ正也

フォントには、フォントとしての役割があります。
フォントの文字書体を作製するのに、フォント職人が知恵と経験を絞りだし、それこそ文字と格闘しながら作り出すというお話は以前したことがあります。


そのように苦労して生み出されたフォントの文字を使用して、このようにパソコンに向かい文字を放つことが可能となります。
それは、共通の文字が人に伝えるという役割を果たすということです。
印刷や多用するゴム印なども、そういう役割をもったフォントを活用します。

しかし、印章にそれを多用することは間違いです。
私も嘗ては、フォントを使用して、それを文字レイアウトの妙を熟知している職人が使用するなら、仕事を迅速に合理化できるものであると捉えていましたし、技術講習会でもフォントを文字構成で修正しながら仕事では使用しても構わないという話もしたように記憶しています。
今、印章は冬眠時代に入りかけています。
あらゆるところで、その使用が狭められてきています。
その原因のひとつは、フォントを野放しに、規範をきちんと提言できなかった業界の姿勢にあると私は考えます。
それを受けて、印章の信頼性とその価値が低落した結果だと思います。
市場は、今、何をしてもよい野放し状態・・・パソコンを使用してできる判下なら、パソコン連動式彫刻機で何を彫っても無法状態・・・それらが大きな顔をして「はんこ屋でござる」と闊歩している状態です。
それは、デザイン能力のない者にチラシやウエッブデザインを依頼するのと同様、さらに言うなら、設計図を書けない人にビルやホテル、マンションの建設をお願いするのと同じこととなります。

印相体や開運印章にも物を言えなかった業界ですが、そんな次元を通り越した印章の存在意義をかけた危機的、末期的状況で、技能検定すら維持できない業界になり果ててしまっています。
ここにこそ、今、物を申さなければならないと私は強く思います。

何度も言いますが、フォントその物が悪者であるのではなく、それを印章に使用していることが、自らの首を絞めることとなってしまっている大きな要因であるということです。

あなたのはんこは、機械で彫ってあることよりも、怖いのはフォントで作成された印章では、ありませんか?
作られたところにお尋ねください。
印章を捺印する機会が減った現在、安価なフォント印章を何本も作成するより、きちんとした印章を一本誂えましょう!

少し難しいお話・・・
フォントの文字の形や名人が作成する印章の文字の形は、それぞれの職人自身の形であります。
その文字の骨格を使用して、他人がいくら修正補正して丸という輪郭の中に上手く当てはめたように見えても、それは決して唯一無二の職人の仕事とは、程遠いということです。
一本の線は、人それぞれ個性があり、その人独自の線となります。
綺麗な線を描くためには、その人自身の手で表現された骨格を持つべきで、フォント職人や名人の骨格を使用しても、他人の褌(フォントや名人の文字)で勝負に臨むのと同じこととなります。
少し、難しいかな・・・
この解説は、またの機会に。
今日はここまで。

posted: 2020年 2月 6日

お華とお茶

「三田村君、暇が出来ればお華やお茶をやってみると良い。」
今は亡き先生方の共通したお話でした。
お華・・・華道をはんこ職人がする必要は何となく理解できます。
花は、一本いっぽん形状が違います。
長い流麗な葉っぱもあれば、短いが横に広がった美しい花弁を持つものもあります。
それを一つの器に自然を感じられるような自分の世界観を確立します。
印章の文字もそれぞれに形状が違います。
篆書はとりわけ、同じ文字でも色々な骨組みがあり、粗密を表現することが出来ます。
2~3種類のフォントでは、とてもそういう表現は出来ません。
あまりにも粗密があり過ぎれば、今度はフォントの意味をなさなくなり、使用できる場所や人が限られてきます。
そういう意味でも印章作製にはフォント使用は不向きです。
同型印の危険性を孕んでいるのみだけでなく、自由闊達に創造できません。

華道の重要性は、何となく理解していますが、実際には技能グランプリの時に、フラワーアレンジメントを見ているくらいです。
しかし、つい最近までお茶・・・茶道の世界は何故はんこ職人に必要かが分かりませんでした。
一時期、体を壊して入院していた時に、デイケアーとして茶道教室を経験したことがあります。
袱紗捌きがよく理解できずに、お菓子欲しさにしていたことを思い出しました。
テレビで茶道についての講座が始まったようで、たまたま1回目をみていたのですが、茶道はどうも精神が大事なようです。
華道も香道も柔道も・・・全て道のつくものはそうなのかも知れませんが、茶道は取り分けてかなと思いました。
お茶室という、これも限られた空間に入り、そこでの亭主と客との関係が重要となります。
亭主が客に気を使う・・・お茶室に入るまでの道中、お茶室の華や掛け軸等々、それはよく理解できますが、客も亭主に気を使う・・・これがスゴイと思いました。
今の商売は、お客様優先主義的過ぎて、店員がお客さんにたいしてハラハラドキドキし、場合によっては土下座させられたりと・・・
客も気持ちよくお茶をいただく為に礼儀である作法を守り、きちんと対応する姿勢は日本的霊性を表現できたものだと感心させられました。
私もお茶を習いたくなりました。

写真は、昨日の印面を洗い流すに続く、印章技術の小手先のご紹介です。
印材の輪郭を仕上げる時に、土手を付けることは当たり前ですが、印材よりも内側に輪郭を作ることは、あまり知られていませんし、しているお店も少ないかも知れません。
細い輪郭線を守り、外圧に強くなります。
輪郭線の太さは、中の文字数や画数にも影響を受けます。
そのお話は、機会がありましたら・・・
今日はここまで。

posted: 2020年 2月 5日

職人の誇り

職人の誇大事に初仕事
【作者】池上不二子

消費税の増税の煽りをくらって、昨年の暮れは、お餅が買えるのか?年が越せるのか?はんやを辞めようか!という状況でした。
今は、相変わらず忙しくさせて頂いております。
感謝です。

職人の誇りを大切にしたいものです。
最近、お客さんや同業者から聞かれることが多いのですが、現在お持ちのハンコと似たように彫ってもらえますか?とか、下地の文字デザインはあるのですが、それと同じように彫ってもらえませんか?
下請け時代は、そういう仕事もありました。
嫌で嫌で仕方がありませんが、食べていく為にしていました。
これは、職人の仕事ではありません。
(おそらく、現在はスキャンされて彫刻ロボットが代替していることだと思います。)
その思考の裏側には、職人を見下した考え方があります。
・・・職人は、言われたことをしていればよい。
意見など、主張や思考は要らない・・・字彫り虫でよい

印章作製というのは、単なる作業工程で分解されるものではありません。
それによると、機械彫り、手仕上げ、手彫りという名称だけが一人歩きします。
フォントの文字を転写し、手で彫った物が、手彫りでしょうか?

本来の印章作製は、字法、章法、刀法という分野から構成されているとするのが、常識的な印章彫刻職人の考え方です。
作業工程で示された区分は、刀法という分野のみで、あとの字法、章法という考え方はほったらかしとなります。
そのほったらかしにされたものを得る為に、手で彫刻することを学び、手で覚え込むのです。

先にお話しました今お持ちのハンコと似たような物を彫ってくれというのは、どういうことでしょうか?
職人の誇りは、その仕事にはあるのでしょうか?
仕方がないからしていたのでは、印章の価値を貶める事にはならないのでしょうか!

藤本胤峯先生は、著書の中で次のように話されています。
久しぶりの引用をお許しください。
「篆源を知らずして、楷書を折り曲げた篆書風に気品はない。篆源を能く知ってその上に一般にわかり易くするのは容易ではないが、これを行い得るとき帝王の文字の篆体は如何なる場合にもその真と美を必ず表現する。
ここに百歩譲って佳き配文を得て、佳き判下を書けたとしても、これを彫刻機で刻ればどうなる。気迫と気品はとても生ずる筈もなく。平々坦々とした凡作に終わることは必至だ。即ち彫る力が乏しく格好だけの三文判になり下がってしまうのである。すべての印章の真価を冒涜するものでしかない。」

人の判下は、人の頭脳です。
パソコンのフォントは、自分の頭脳ではありません。
人の仕上げ線は、自分の仕上げ線ではなく、人の褌を締めて試合にでることとなります。
それらを使うことは、職人の誇りをドブに捨てることです。

posted: 2020年 1月 31日

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