「はんこバカ」がいらなくなったバカな業界

「私事ですがボランティアでフォークリフトの講師をしています。無資格でも内密に作業する人間はいますが矢張堂々と仕事をするのには資格が必要です。印章の世界は技能士の資格が無くても彫刻できるようですが他人の氏名を彫るのに、さらに言えば代金を貰って生業にしているのに無資格というのは筋が通らないと思います。技能士の技術も甲乙があると思いますが責任が生じる書類に使用する道具である以上技能士の資格は必要としてほしいですね。今まで野放しにしてきた無責任な業界が招いた結果であるとしても今一度、日本の文化を取り戻す為に勇み立っていただきたい、本物の印章を周りに紹介する等微力ながら応援してます!」

上記は、18日(土)のアメブロ記事として掲載させて頂いた『そして「はんこバカ」はいなくなった』という文章にいただいたコメントです。
「技能検定すらできない業界」という業界内部の技能士や技能士資格に対するものの見方と、消費者目線の技能士の資格にたいする見方は、やはり少し違う。
印章制度や印章文化を守ろう!と息巻くなら、消費者にそれ相応の印章を提供しなければなりません。
それと、その商品を作成するにあたり、それ相応の資格を有していなければならないとするのは、当然の論理であります。
コメントを下さり、この場をお借りしてお礼申し上げます。

印章制度はデジタルに媚び、印章文化はキャラクターに依存するという業界
文句も言わずに、他所事を懸命に吠えている業界
私も印章業界に嫌気を感じながら、他の職種の方は、自分の技術に誇りを持ち、寝食を惜しんで、換言すれば命を懸けて仕事に打ち込む「バカ」が多くいます。(敬意を表して「バカ」を使っています)
そちらの方々との交流を多くした方が、私自身もより高まるのではないかなと、最近のコロナ禍の情勢を見ていて、益々その想いは強くなりつつあります。
一生懸命に技術継承現場の存続や技能検定の維持を声にしても、届かないどころか、迷惑がられるという現状があります。

そのついでに、少し技能検定廃止がどのような意味合いを持っているのかをお話します。
平成17年12月24日の行政改革重要方針として閣議決定された技能検定廃止という要件についての文書ご紹介致します。
「廃止 ・ 当該技能に対する需要や当該技能を必要とする製品の需要等が減少し、今後とも その需要の増加が見込めないこと。 ・ 当該技能を有する人材に対する需要が減少し、今後ともその需要の増加が見込め ないこと。 ・ 技能検定試験の実施等において、業界団体等の協力が得られないこと。」

令和3年度後期技能検定を今のまま迎えると、とても120名の受検者は期待できません。
よけいな事かも知れませんが、今までの経験上50名を超えればよい方と推測します。
これでは、印章業界は技能検定を制度の規程により手放すことになります。
手放すとはどういうことかと言いますと、国の要請に基づいて技能検定を実施しているのではなく、技能検定に参加を望んで実施してきたという歴史があります。
望んで参加した制度に適応できないということは、上記閣議決定文書の中にもあるように、自らの手で相応の職種では無くしてしまったということなのです。
または、その制度は印章業界にいらないと放棄したことになります。

私は「はんこバカ」ですが、本当のバカがいるのだなと色々な意味で思います。

posted: 2020年 4月 20日

そして「はんこバカ」はいなくなった

相変わらず、テレワークの邪魔もののように印章が報道され、話の筋の行末が電子印鑑、そして最後に某文具メーカー?の会社名の宣伝?・・・と朝から嫌気がさすような情報番組の一コマでした。
家内が、「職人さんのことやっているよ!」と『サワコの朝』を見てみると、左官職人・久住有生さんが出演されていました・・・途中からでしたので、見逃し配信を見ました。

私は、外から印章業界に入りました。
入って驚いたのは、「はんこバカ」というような、そればかりを考えている人が少なく、職人気質や徒弟制度の在り方を批判する若手商売人が多かったことです。
印章を見つめ、そこから明日を見出すのではなく、他の経営論や流行を追い求めることが時代を生きる業界人と言われていた。
手技に憧れ、職人気質を追い求める私としては残念でありました。
時間を忘れ、寝食の時間を削り、厭きずに印面に向かい、技術の事を話していたい私には興醒めな業界でした。
良い先生にも恵まれましたが、技術の事が軽視されている業界だなと思いました。
そのような中、技能グランプリにも出場しました。
今の参加選手よりも少なかったが、もう少し質が高かった。
一生懸命に印面に向き合う技術者がドンドンと減っていった時代です。
その当時の仲間は、今では戦友なのかも知れません。
また、その当時の先生、師匠らも私が年を取ったのと同様に年を取られた。
また恩を返せずに、あちらの世界からエールを送ってくださる先生も多くなりました。
今の事態はさらに悪化し、技能検定も満足に出来ない業界になり果てている。
技術をしていると、骨董品のように言われる。
技術、技術というと疎まれる。
しかし、どう考えても印章は技術の産物
職人の創作により唯一無二を堅持できるアナログの商品
それを何とかしてパソコン機能を駆使してオモチャのようなハンコをつくりだして、却って社会から信用を失っていく印章とその業界
市場にはパソコン印章やフォント印章が乱売され、
そのオモチャのようなハンコを文化だとする業界内部よりの見方・・・
消費者からは呆れられて、きちんとした印章を提供してくれる職人の姿が見える印章店を探すのは至難の業だと、私も時折、お客様から叱責を受けます。
「はんこバカ」は、益々少なくなりました。
技術をしている者のなかでも、呆れられるのが「はんこバカ」です。
はんこのこと、印章のことしか考えていません。
視野が狭いとも言われます。
他の業界、技術を大切とする業界には
まだまだそういう人がいるんやなと思います。
印章業界の人達の技術やその継承への意識の低さを見聞きすると、技術バカの他業界の人との交流の方が自分を高めてくれると、意識の低さに今を投げ出したくもなります。

でも印面しかない
印面に向き合うことに厭きない

左官職人・久住有生さんは・・・
壁しかない
壁に厭きない
よければ、「見逃し配信」を見てください。
https://dizm.mbs.jp/title/?program=sawako&episode=131

posted: 2020年 4月 18日

最近、危惧すること

職人の腕が見えるお店が、きちんとした印章を提供出来るお店
嘗ては、技能士でなくても上手なハンコ屋さんがおられた。
極端な話、遠い昔には、文字が読めない印章彫刻職人もおられたと聞いたことがあります。
しかし今それらの職人さんは、いないか高齢で現役ではありません。
技能士資格がなければできない商売ではありませんが、技能士資格を持たない職人は現在では見受けられません。
(ここにいるよ!という人は、業界人なら技能検定を受けてくださいね。)

職人のお店や「手仕上げ」を名乗られているところで、技能士を有していないお店は、きちんとした印章を製作できない所と言って過言ではありません。
(おりますよ!という方は、令和3年度後期技能検定を受けてくださいね。)
国は、技能士の存在で印章業の在り方を価値判断の基準として捉えるために、技能士資格のデーターベース化を模索しています。
国にとっての印章業者の数は、けっしてコンピューターの彫刻機の数でなく、技能士の数なのです。
業界のあらゆる組織より、そのデーターを持っております。
業界の組織は、そこには力を傾注してこなかったために、また軽視してきたために、全容を把握していません。
技能検定は、受検者の個人情報から受検年月日、合格日まで全てのデーターを国が職業能力開発促進法の下に保管されています。
全国の職業能力開発協会を通じてデーターを共有しております。
データーベース化はいとも簡単です。

もうそういう状況ですね。
しかし、その技能士という継承者をつくる技能検定が廃止になる可能性が大きくなるというか、コロナ禍で仕方がない論調に押され、何もしなければ検定を手放すことになるのは必至です。
とても今の状況下で、令和3年度後期での全国120名の受検者数は不可能です。
しかし、方法はあるはずです。
国が技能士資格をデーターベース化するのは、技能士を優遇するためではありません。
技能検定を廃止にして、技能士の高齢化による技能士数の減少=唯一無二の論拠の一つである職人の消滅=印章業界の自然消滅=印章の消滅をねらっていると言えます。
今!命が大切だから、仕方がないので何もしないは技術放棄に繋がります。
何もしないと何も起こりません。
いや、退行といえます。
ステイホームでもできることはあるはずです。
会議や飲み会は、ネットを通じて工夫をされるのに、どうして技術継承については放置や中止を当たり前とするのでしょうか!
何故、意識が何もしないに行くのか・・・
何らかの方法を探るという努力が今こそ求められています。
売名行為で商魂たくましい方法も見受けられます。
コロナ禍は、いろんな在り様を浮き彫りにしてくれます。
ご注意を!

posted: 2020年 4月 16日

技術空白の世になるなら、西鶴と同じ思い

何と世に桜もさかず下戸ならば
【作者】井原西鶴

大阪の感染者数が93と異常値をしめした昨夜のニュースを見て、今はステイホームで自分の身は自分で守らんといけないなと思いました。
その反面、音楽や演劇、映画などの文化や芸術、スポーツの鑑賞がネットやデジタル配信中心となっていることを憂います。
印章技術大競技会の審査会に東京に行く予定をしていたのですが、非常事態宣言を受けて延期となりました。
その競技会に出品者の努力と精進の賜物の作品をデジタルで審査は出来ませんし、デジタル画面で審査するのは嫌です。
作品にも技術者の想いが入っています。
作品と対面して審査をするという事は、出品者との魂と対面する事だと思います。
また、その審査会を準備されてきた東京の技術委員の苦労を考えると、延期はとても残念です。
私としては、延期された日に無事に審査が行われる事と、秋の大会に晴れて作品が展示されることを祈念するのみです。

文化や芸術は、出来た作品を見聞きするのみではなく、その作品へ関わった全ての事象と人を鑑賞することに意義を見出す一人です。
全てがデジタルであるという制限が加えられれば、もうそれは芸術文化の範疇を飛び出したものとなり、新しい次元の在り方だと思います。
そういう次元に対しては、私は西鶴同様に下戸になりたいと思います。
少し話が違うのかもしれませんが、江戸の世に「衣裳法度」のおふれが出されても、桜は咲きます。
そんなおふれの世であれば、桜も咲かずに、酒も飲めない下戸の方がよほどましかなと伊勢物語の歌を用いて西鶴は思いました。
私も時代や状況は違っても、西鶴同様の気分になるのは何故なのかと不思議な気持ちになります。
文化芸術の発表の場を失った人は、職業なら保証をされるのは当然の事とも思いますが、発表の場を失くしたそれらの停滞は、取り戻すのに2倍いや3倍の時間と苦労が必要かなと想像します。
いや、実際にこれを期して消滅するものもあるのだろうなと思います。
印章も・・・何もしなければそうなると私は思います。
そういう意味でも、印章技術大競技会の延期された審査会が無事に開催できますように、事態の収束を心より祈りたい。
収束後の文化芸術の在り方のみでなく、暮らしの在り方などが大きく変わり価値観もモノの見方も変わるのでしょうが、その本質をそれぞれが無くさないように今努力できることをすべきだと思います。
また、それを揶揄することは避けて頂きたいと強く願います。

posted: 2020年 4月 10日

ぶらんこと職人気質

ぶらんこを漕ぐまたひとり敵ふやし
【作者】谷口智行

大阪の空は、春爛漫の気持ちの良い週末となりました。
どこかへ出かけたい気持ちになりますが、じっと我慢の今日この頃ですね。
こういう時だからこそ、今下さっている仕事に真摯に向き合いたい。
確かに、コロナの影響で4月に入り客足の減少はあります。
仕事自体は、3月のお客様分を多数抱えております。
適当なやっつけ仕事はしない・・・その場は、それで仕事が片付き楽になるかも知れません。
しかし、そのような仕事を渡されたお客様は二度と当店には来ていただけなくなります。
全方位型の商売をして、たくさんの来客を望んでいるのではありません。
きちんとした印章を望まれる方
パソコン印章やフォント印章で嫌な思いをされ、今度はきちんとした印章を持とうと思われたお客様
そういう方へのお役に立つ仕事がしたい一心です。

ぶらんこは、みんなで漕げません。
一人で漕ぐから気持ちがいいのです。
子どもの頃、二人乗りというのがありました。
自分は座っているのですが、その脇に立たれて
ぶらんこを漕がれます。
その人のペースとなり、乗っていても自分のぶらんこのような気がしません。
気分が良いのは、立ち漕ぎをしている人です。
ぶらんこは、自分のペースで気持ちよく漕ぎたいものですね。
ぶらんこは、職人仕事と似たところがあります。
子どもの頃のぶらんこを思い出し
マイペースで・・・
また敵を増やしてしまったが、味方も増えたような気がします。

遅くなっているお客様へ
今日明日、仕事量調整をして頑張ります。
間もなく、きちんとした印章をお手元にお届けいたします。

posted: 2020年 4月 4日

中庸を定める生き方

連日の新型コロナ感染者数の拡大が人の心の中に不安をもたらしています。
今朝も、フェイスブックで友人がコンビニで買い物をしていると、マスクを外して大きなくしゃみをする人がいたと話されていました。
このような世情で、どう生きるかが問われているような気がします。
昨日もフェイスブックのあるグループにある書き込みを読みながら、このご時世を利用してと・・・カミュの『ペスト』を思い出すと書いたら、変な風に誤解されたので、作品のあらすじをコピペしておきました。
そのあらすじを検索していると、カミュ『ペスト』が書店での売り上げが急激に伸びているとの記事を見つけました。
また、小松左京『復活の日』も同様であるとのこと。
中庸という言葉が、昨夜の夢で頭の中をよぎりました。
儒教の教えでもあり、四書の最後に学ぶ書でもあります。
中庸と中道は、かなり違います。
音の響きから真ん中を意味するように感じますが、真ん中であるという事は、自らの指針や生き方をきちんと持たないとなかなか難しいものです。
声の大きい方に靡いたり、忖度したり、お金の方に引き寄せられたリと・・・
その中庸に生きるのはかなり至難の業であります。
技術をしていると、単独では上を目指せません。
一つの道というのは、先人からの流れであり、後ろには後進が続いているものです。
教えを乞うという事が必要なのが技術に生きる人の定めであります。
私もまだまだ教えを乞いたいのですが、今は亡き先生方より優れた方には出くわしていないのが現状です。
私は多くの先生に教えを乞いました。
在る先生は右が正しいと言われる。
その逆を言われる先生もいました。
どちらも大先生です。
だけれど、作品作りで考え方が違うのです。
手技の技術の場合、杓子定規に真ん中を行くとはならないことが多くあります。
A先生は4と言われる。
B先生は2が良いと・・・
C先生は6が正しいと・・・
数学的な思考では、4+2+6=12
12÷3=4
解答は4です。
そうはならないのが、手技の修業です。
その中庸を定めるには、各先生の指導の想いと意図を計らねばなりません。
それが修業で、その時の作品の在り方より、その後ず~っと生きて来る解答を自らの中に作ることとなります。
中庸とはそういうことではないかなと、この頃強く感じます。
新型コロナウイルスの感染が広がる中で、強く自分を保ち生きたいですね。

追加記事・・・
私の関わってきた先生方は、作品に対しての意見が違っても、相手の良いところを認める力を持っておられました。
決して、自分の掌の中に人を集めようとしませんでした。
集めると安心感を得るのは、自らの技術に自信がないからです。
陣取り合戦のように、敵味方を区分するやり方は、技術の世界では考えられない方法です。
去る者は追わず来る者は拒まず
そういう先生方だから尊敬できたと振り返ります。

posted: 2020年 4月 3日

25年前の命題

もう少し生きよう桜が美しい
【作者】青木敏子

今から25年くらい前に、今は無き青年部に所属していました。
青年部を卒業される先輩部長の記念に他県への研修旅行に行きました。
その受け入れ先の社長さんが人格者なお方で、店舗や店の経営ノウハウを惜しげもなく公開して頂きました。
今から考えると、本当に凄いことでした。
私もまだ若く、そのことの意味も考えずに、生意気にも次のように質問いたしました。
「はんこ屋さんの多くは、印面を説明販売するのではなく、印材と言う名の棒を販売しているように感じます。店舗レイアウトも販売の考え方もそのように感じます。
お客様は、最初は棒を選んで購入されるかもしれませんが、彫刻された印章を受け取りに来られた時、棒を渡していたのでは、だめだと思います。
もっと印面の美のアピール方法は、ないのでしょうか?」
この質問に対して、彫刻証明書を付けるとか、印影をラミネート加工して貼り付けるとかの意見も出されました。
そういうことではなく・・・と酔いにまかせて、今は亡き大阪の大先輩にもかみつきました。
その答えは、印章業界が長らくほったらかしにしてきた「技術の見せ方」という大きな課題であり、場に相応しくない質問をしたことを今でも悔い、さらに自問自答して、今でもこの問題を探求しています。
業界全体が、この問題を放置してきたことにより、今の技術の質量共の低下減少と、ひいては技能検定が廃止になる一歩手前の危機的なる状況を作り出していると思います。
それは、印章の唯一無二の論拠を失おうとしていると言っても過言ではなく、その論拠の技術の在り方を業界が見失った時に・・・。
25年前の青年部の時代は、まだそんなことを考えなくても商売を果敢に取り組めた時代でした。
この春、花見というイベント的なる事はできなくとも、それでも桜は咲きます。
その桜を見て、私ももう少し頑張らねばと思う今日この頃です。
25年前の命題は、未だ解き明かせてはいません。

posted: 2020年 3月 31日

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