利権より人権を守るのが印章の役割

デジタル化は国民生活に利便性をもたらすという考え方が前提としてあり、それと対立するような関係になりたくないとして、昨年の「押印廃止」騒動後の印章業界の方向性は、「国民の利益に資するデジタル化の政策に賛成します。」とまで述べられ、一部では「デジタルとの共存」という言葉が独り歩きしだした。

しかしながら、この「デジタルとの共存」という思考は、電子印鑑以外に印章の具体的継承を何ら示していないと私は思います。

今や業界誌での議員とのインタビューでは、「脱ハンコの正体はデジタル利権か?」とまで述べられているのが現状です。

便利だと思われる陰には、何かがあります。

ただ、私もデジタルが≒悪であるとは思いません。

スマホも使えば、こうしてSNSも活用させて頂いています。

ただ、印章がきちんと継承されていく為には、デジタルとのきちんとした住み分けをするべきであります。

 

本日付け毎日新聞の朝刊に「デジタルを問う・・・欧州からの報告」という記事が掲載されています。

アメリカ主導のデジタル化社会創設論理に対して、ナチスによる歴史的教訓のある欧州ではデジタル化社会のあり方を、人権や民主主義の視点から問い直す動きが生まれています。

人権や民主主義には、日本において印章は必要不可欠なる契約や約束事の重要な道具(「おしで」思想の具現化)であります。

この論理に主眼を置き進めるならば、きちんとデジタルと印章の住み分けが可能なはずです。

民主主義とは、一つ一つの具体的約束事の積み上げで成立するものだと言われています。

地道な活動になるだろうが、私はこの道を選んだ方が印章は継続され、国民の権利は守られる方向に進むと思います。

アメリカ主導型のデジタル化との共存に、印章の未来はあり得ません。

 

posted: 2021年 9月 7日

東洋の知としての日本の印章

夕刊が面白くなってきた。

ネットニュースも良いけど紙の新聞を広げて思索にふけることが、この年になり満足感を得ることになろうとは、予想していなかった。

先日の毎日新聞夕刊にゴリラの博士で有名な京大学長をされていた山極壽一先生の講演記事が目に付いた。

「脱二元論へ東洋の知を」という表題にもひかれた。

フランスのベルグ博士は、「西洋近代の古典的パラダイムは存在論的には二元論、論理的には排中律に基づいており必然的に近代性と工業化を伴ってきた。このパラダイムは行き詰まりに達している」と述べています。

そして、日本の社会は「容中律」(中立を許す考え方)を多く育んできて、多様性を受け入れる文化を有している。

それがこれからの社会には必要であると山極先生は述べています。

縁側は家の外でも内でもないと同時に外でも内でもあると日本家屋を例にとり説明しています。

また、西田幾太郎は「形なきものの形を見、聲なきものの聲を聞く」・・・これが日本人の情緒。

雪舟や上村松園は背景を描かず「余白」を大切にします。

それが日本人にとって当たり前であったと言われています。

印章もそうだと私は読みながら思いました。

また山極先生は、「SDGsにはそんな大切な文化が含まれていません。文化は体験と共感によって身体に埋め込まれ、生産物はいっぱいあるが、捉えどころがない。世界中の目標とはなりえないのです。でも、文化は地域に根差しながらグローバルに共有できるものであり、倫理的には共有できるはずです。」と述べられています。

印章もメソポタミアからシルクロードを旅して、中国の漢字文化と融合して、「おしで」の国である正倉院に到着した後、長い押印経験を通じて人々に根付いて来た文化であります。

印章業者は変なところに靡くのではなく、本来の印章の在り方にもっと自信をもって、デジタル化にも声を出して、自分の陣地の正当性を主張するべきであり、また主張できるだけの歴史と中身を有している文化だと論を張るべきだと強く思いました。

山極先生も最後に次のように締め括っています。

「文化を科学が共鳴し合う新たな環境論理を作る。今のうちに知恵を練っておかないとポストコロナの世界に対処できません。これからは日本の強みを東洋の知として世界に出すべきだと考えます。」

東洋の知として日本の印章の強みを逆に世界に発信することの方が、デジタルと共存を模索(迎合)するより楽しそうだと私は考えます。

 

posted: 2021年 8月 11日

平地人の思いあがり

昨日、8年ぶりに国連IPCCが報告書を公表した。

そこには、分かり切っているような当たり前の事が文章となり、地球温暖化の原因は人間の活動であると断定された。

産業革命以前の状態に戻るための具体的な対応を求めている。

では、産業革命以降の人間の活動が自然を破壊して、地球温暖化に関与してきたとすると、産業革命の在り方を否定している事になる。

産業革命でもたらされた人類への貢献を再思考しなければならないということになる。

その思考を現在の経済活動の中に取り込もうとしているのだから、また100年後にはそのこと自体を問題視する報告が公表されるであろう。

平地人の思いあがりとは恐ろしいものだなと思う。

自らを中心に置き、その存在が思考の出発点になっている。

平地人は利便性の高さをメルクマールに活動していくようである。

それは産業革命以降の根本思想、資本主義のそもそも論なのかも知れない。

初めから、地球に住まわせて頂いているとする自然との共存思考があれば、温暖化も今の状態ではなかったかのように思う。

逆に自然から頂く恩恵という思考は共存共栄という方向に益々進んでいったことだろう。

しかしながら、現在は共存することは不可能であるから、人類の行動を制御という「住み分け」行動が提案されて然りなのかも知れない。

もはや、自然と共存することなど、人間の行動とは逆行することに他ならない。

確かにデジタル化は利便性という言葉の裏返しかもしれないが、利便性のみで突き進んできた平地人の世が温暖化を進行させたという事実を忘れてはならない。

今のデジタル化を無視して、自然人としての在り方を模索するのも一つであろうと思います。

しかし、それではCMにあったような原始生活を強いられることになる。

初めからデジタル化とそうすべきでないことをきちんと議論し、住み分けする。

遍く事をデジタル化すればよいという思考は、一面、利便性はもたらすが、公平性や正確性を反面奪っていくという処にも目を向けるべきである。

そうして我々は産業革命以降の社会の在り方を再思考すべきである。

産業革命によってもたらされた利益とそれによって奪われた人間らしさ・・・戦争という問題も内在しているようにも思う・・・をきちんと見つめ議論する必要が平地人には必要かなと強く思います。

 

3年前のブログです→https://ameblo.jp/kiann1213/entry-12396966792.html

posted: 2021年 8月 10日

第2回技能検定対策講座at名古屋

昨日は名古屋に行ってきました。

愛知県印章会館の2階に集まられた20名の技能検定受検対策講座の参加者の技術を希求する熱い心に触れ、暑さなど吹き飛んだ一日でした。

一番に会場に入って来られた女性の『印章教科書』を見て驚きました。

『印章教科書』の大きさはA5です。

なんとA4の大きさに加工されて持参されました。(写真)

「教科書を読もうと思っても、文字が小さいのでやる気が出ない。思いきって大きくしました」と笑っておられました。

その熱意にまず感動しました。

コロナ環境を考慮して時間が短い講習ですが、時が経つのも忘れて集中されていました。

ある参加者は、お店に戻り教えてもらったことを従業員に教えましたので、その印稿を見てくださいと持参されていました。

講座の定員が20名でありましいたので、その方は検定も定員があり受検できないと思われていたようで、2名の方の受検が増えました。

印稿の宿題も数多く書いてこられた方が数人おられました。

講師の先生方も参考の印稿を書いてこられていました。

何かと自分の中に大きな刺激を頂けた名古屋行きでした。

8月は私用があり参加できませんが、9月にまた名古屋に行ける事を楽しみにしております。

9月は受検の申請受け付けもあり、スタッフのみなさんも30年ぶりの検定に緊張と感動を隠しきれないようです。

 

 

posted: 2021年 7月 26日

いらないハンコなど何もない

「いらないモノなど何もない」・・・5年前にブログ記事にしていた題名です。

 

「いらないハンコなど何もない」とも思います。

 

リモートワークの邪魔者とされ、その後大臣の「押印廃止」の号令により、国策として強行されました。

 

当時、業界人さえデジタル推進に賛同され、無駄なハンコはなくして、デジタルと共存していくとまで述べられました。

 

無駄なハンコって何なのでしょうか?

 

今まで無駄なハンコを販売していたのでしょうか?

 

今や、デジタル推進側の思う通りの状況となり、あれだけ声高に世論の後押しも得て支持されていた婚姻届けの押印も不要になる方向(9月1日より戸籍法施行規則の一部を改正する省令として施行されます)と聞き及んでいます。

 

デジタル化の状況は、ワクチン予約や数字の集約など様々なところで未熟さを露呈していますが、押印廃止の各分野での進行は止まるところを知らない状況と言って過言ではありません。

 

足の小指くらい(認印くらい)とおもっていた痛みが、今!体全体に感じておられる方はとても多いと思いますし、これは印章業界の問題のみではなく、伝統や継承を重んじている日本的霊性にとっても、日本文化崩壊の道しるべとならないことを願いたいものです。

 

※5年前のブログ⇒https://ameblo.jp/kiann1213/entry-12181154517.html

 

posted: 2021年 7月 16日

印章憲章を守ろう!

兵庫県の印章組合が全国組織を脱退されてから、4年が経ったんですね。(下のブログを参考にしてください)

 

今、『印章憲章』は、スローガンではなく、印章の唯一無二を守る具体的な取組がされているのだろうか・・・

 

4年前に加盟されたネット大手では、分速で販売されるハンコは唯一無二を守るためにどのように作製されているのだろうか・・・

 

来年ある技能検定の2級試験は手仕上げの試験です。

 

角印の判下作製(48ミリ)と24ミリ角の手仕上げで3時間30分という試験内容・・・手仕上げも時間がかかります。

 

だから唯一無二が守られますし、2級技能士の存在意味も出てきます。

 

4年前に兵庫県の印章組合が一緒にはやっていけないと言われたネット大手からは、何人の何十人の受検者を輩出してくれるのだろう?

 

楽しみである。

 

そうあらないと、脱退された兵庫県の印章組合さんが気の毒に思えてならない。

 

2級技能士の数を増やすという数字上の技能検定延命策のみでなく、その後の2級技能士の存在と意味づけをしていかないと、「うちは手で仕上げているが技能士ではない」というような曖昧な手仕上げや「熟練の手仕上げ」というキャッチコピーがまた独り歩きしていく業界を許すことは、手仕上げという曖昧な言葉を独り歩きさせた責任を誰も問わないことに結びついて行きます。

 

過去の過ちを言っても仕方がないので、何度も言うようですが、きちんと2級技能士の意味付けをして、技能検定が今後も続くような方針を持ってほしいと思います。

 

そして、「2級技能士の手仕上げ」をどんどん発信していって下さることと信じております。

 

4年前のブログ⇒https://ameblo.jp/kiann1213/entry-12291997579.html

 

 

posted: 2021年 7月 12日

次に伝えていますか?

七月のなにも落さぬ谷時間

【作者】秋元不死男

 

いつもなら夏祭りの幟が街角にハタハタと閃いているはずの7月です。

先日、交差点にたって小学生の通学を見守っている地域のおじさんに「幟がない夏はさみしいですね」と声をかけました。

おじさんは、地域のお祭りの世話人で、次男も子どもの頃お世話になりました。

朝の挨拶のつもりでしたが、そのおじさんは悲しそうな顔を私に向けました。

「いや、来年はできますよ。」とこれもできるという根拠もなにもない、ただ励ましだけの言葉です。

おじさん(と言っても80歳前くらい)は、「できますやろか・・・」と弱々しく、更に悲しそうに、泣き声のようにも感じました。

「大丈夫ですよ」とこれまたええかげんな励まし・・・。

そういえば、昨年もこれと同じ会話をしたような気もします。

1年ならまだしも、2年連続で地域のお祭りができないということは、そのおじさんにとっての2年は、とても大きいし、ひょっとして来年は祭りをする事も見る事も出来ないかもしれないという時間なのです。

また、子ども太鼓の伝承は、2年間の空白となります。

今の太鼓の教え方はきっと違うのだろうが、私の子どもの頃の方法は、先輩が傍について教えてくれました。

右左右・・・右左右・・・右左右、左右と声をからして太鼓のバチの上げ下ろしを一生懸命指導してくれました。

そして、自分が上級生になれば、下級生に同じことをしていたのです。

その繰り返しがお祭りを作ってきたのでした。

2年もその練習をしないという事は、3年生の子が5年生になります。

5年生の子は、中学生になり子ども太鼓からは卒業になります。

おじさんは、その事も含めた意味で「できますやろか・・・」と悲しそうに答えたのだろうと思います。

物事が止まる、中断するということは、とても怖いことで、表面上のことだけでなく、根本的に動かなくなることをある意味示唆しています。

準えては書きませんが、印章技術の継承現場はどうだろう・・・。

※写真は一昨年の夏祭風景です。

 

posted: 2021年 7月 2日

< 8 9 10 11 12 >